■北下台 (ぼっけだい)
新井浦(旧安房博物館周辺)から柏崎浦(現自衛隊東側の岸壁周辺)にかけての浜は、物産の津出しの湊として江戸期より栄え、明治期以降は近代水産業発展の拠点として重要な役割を果たしてきた。ほぼその中央に位置する北下台は、高ノ島・沖ノ島を眺望する景勝地として好まれ、1885(明治18)年には館山で最初の公園として整備された(下左)。しかし残念ながら、現在はヤブに覆われ、海を見ることができない。
古くは北下崎と呼ばれ、海に突き出た小岬だったが、繰り返し起きる地震の隆起によって磯つづきの高台となり、北下台となった。古代の海食洞穴や、室町期に武士や僧侶の墓としてつくられた「やぐら」もあり、海と暮らした人びとの痕跡が見られる。明治末期から大正期にかけて、館山湾では捕鯨業や沿岸の地引網漁、西岬の大謀網漁が盛んであった。鏡ヶ浦の名で知られるように、波静かな館山湾は、外洋の時化(しけ)のときは避難港であり、遠洋漁業の補給地として適し、北洋のラッコやオットセイなどの漁業船団の基地として重要な拠点でもあった。
北下台周辺には、航海の神を祀った金刀比羅神社を中心に、館山港の中心基点とされる正木燈台跡(下右)や、近代水産業の先駆者・関澤明清の碑、坂東丸・順天丸の遭難供養碑をはじめ、多くの顕彰碑も多く、さながら「海辺の歴史公園」といえる。
捕鯨銃を導入した関澤が日本で最初に仕留めたマッコウクジラの骨が記念碑として北下台に展示されていたが、戦後はしばらく楠見青年館そばに移転されていたものの、今は不明である(下左)。