【全国唯一の兵器整備学校】
1943(昭和18)年6月に横須賀海軍航空隊から独立させ、「館空」基地の隣りに開隊したのが、洲ノ埼海軍航空隊(通称「洲ノ空」)である。
この兵器整備練習航空隊と呼ばれる「洲ノ空」は、全国でただひとつの航空機関連機器・機材を整備する技術者養成の学校であった。
海軍は、アメリカの最新の航空兵器に対抗して、兵器の研究開発していたが、問題は開発した機器・機材が実戦に使用できるように改良や整備、操作する技術者が不足していたことであった。そこで実戦経験者を指導教官にして、実戦部隊の優秀な整備関係者や全国の理科系学生生徒を集めて養成することにした。
兵科は普通科と高等科を設置し、それぞれ機器・機材専門分野ごとに射爆兵器班・無線班・写真班・光学班・魚雷班・電探班・雷爆班に分けて教育した。多いときには、1万名以上の若者たちが学んでいたという。
6【「洲ノ空」の専門教育】
普通科のたとえば射爆兵器班の専門教程をみると、おもに戦闘機用の7.7mmや20mm機銃の分解結合、13mm機銃のカム調整と装填射撃方法、爆弾の構造と模擬爆弾による爆装投下、毒ガス兵器の取り扱いや実験解毒方法、航空写真機・照準器・航法兵器の取扱いと無線モールス信号の操作などを学んでいる。
なかでも戦争末期には毒ガス兵器を扱っていたので、「館砲」化学兵器科とともに、海軍の毒ガス製造部門の相模海軍工廠研究者たちと連携して、研究開発や操作技術に関わったものもといた。と同時に、本土決戦へむけての兵器準備では、とくに特攻機や特攻兵器の保守点検に多くの技術者が必要とされたので、「洲ノ空」は海軍にとって極めて重要な役割を担っていた。