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●安房の観光をさぐる

〜江戸期の観音霊場・那古寺と巡礼


江戸を中心に都市文化が開花し、芝居小屋や見世物小屋、講談・落語・曲芸などを演じる寄席とともに、銭湯や髪結床も庶民の交流と娯楽の場になっていった。寺社は修繕費や経営費を得るために、縁日や開帳、富くじなどを催し、人びとを境内に集めた。この頃庶民の旅も広くおこなわれるようになり、伊勢神宮や善光寺、そして金毘羅宮などへの寺社参詣は盛んにおこなわれるようになった。多数の庶民が爆発的に、伊勢神宮に参詣する御蔭参りは、江戸期に数回おこり、1830(天保元)年の時は、参加者が約500万人に達したといわれる。


江戸期において、とくに盛んとなった巡礼を見ると、たとえば聖地や霊場を巡拝する西国三十三所巡礼・坂東三十三所巡礼・秩父三十四所巡礼・四国八十八所巡礼など、信仰の旅が多くの人びとに広がっていった。また、それにともなって五節句や彼岸会、盂蘭盆会などの行事をはじめ、日待や月待、あるいは庚申講などの集まり、さらには、町や農村を訪れる猿廻しや万歳、盲人の瞽女や座頭の歌が、都市から農村に浸透して、人びとの娯楽の場になっていった。


一般に巡礼として、弘法大師ゆかりの聖地をめぐる四国八十八所巡礼や、観音霊場を参拝する坂東三十三所巡礼などがある。観音菩薩は三十三の姿に変じて人びとの苦悩を救うとされ、この数に合わせて、三十三ヶ所の観音霊場を巡る信仰となった。西国札所三十三は平安末期に、板東札所三十三は鎌倉期に、そして秩父札所三十四は戦国期にそれぞれ形成されるが、すべてをあわせて百観音と称され、百か所巡りがおこなわれた。江戸期を見ると、巡礼が大衆化して、多くの人びとが功徳を求め、諸国行脚の巡礼に出かけていった。


かつては行者や聖など、民間の宗教者たちが諸国行脚を修行に日本六十六ヶ国に法華経を納めて歩き、この修行者のことを六十六部、略して六部といっていた。観音礼所のように特定の寺院を廻るのではなく、各地の一宮や有力寺院など場所はさまざまにあった。


戦国期より里見氏が安房国支配のために、特別な役割を与えてきた那古寺は、板東三十三観音札所の結願寺であり、安房国札三十四観音霊場の第一番札所であった。安房を代表する観音信仰の中心の霊場として、那古寺は特別な場所であり多くの人びとの信仰を集めてきた。観音信仰では、観音菩薩の住む浄土を補陀洛山とし、その信仰が広がるとともに補陀洛と呼ぶ霊地が誕生していった。海の向こうの観音浄土の補陀洛山へ小船で旅立っていく、つまり、観音浄土にむかって入水往生することは、補陀洛渡海であった。海に面した那古寺は山号を補陀洛山とし、船に乗って那古寺に向かう人びとには、観音浄土へ向かう信仰心を抱かせていった。板東三十三所観音巡礼の結願寺である那古寺の賑わいは、門前に宿泊施設など町場がつくられ、いわゆる門前町を形成していった。


安房全域の観音霊場、つまり国札観音の巡礼は、江戸期に盛んになったとされ、安房国札三十四観音霊場巡礼は古く、悪疫の流行と飢饉に苦しんでいた鎌倉期にはじまったと伝えられ、丑年を縁年として、本開帳に拝巡して祈願したのであった。


●明治期・安房の観光

明治期になって東京―館山間に蒸汽船が就航し、それまでの半分の5時間の旅となり、物資輸送はもちろん海水浴や避暑避寒の地として、東京から簡便となり、安房の観光業は大いに発展した。1892(明治25)年に北条の旅館木村屋が独自に『房州避暑案内』を発行するなど、観光地として必要な情報を紹介する取り組みをはじめた。


東京からの自由な旅行客が急増して、後に東京湾内の汽船航路は「房州通い」といわれようになり、東京の霊岸島を出航して、横浜・横須賀・浦賀などに寄港しながら、大勢の観光客が気軽に那古や館山に出向いてきた。1897(明治30)年頃には、館山湾にある各桟橋付近の宿泊施設が21軒を数え、大変な賑わいとなっていった。


なお、安房・平・朝夷・長狭郡長であった吉田謹爾は、地域振興策として農水産業の育成に心をくだき、なかでも資金の面で高利の貸金業に頼らざるをえない現状を憂ていた。低利による融資手段がなくては企業の創設などありえないとみた吉田は、1895(明治28)年に郡長の転任を命ぜられた機会に職を辞して、翌年には安房で最初の銀行となる安房銀行を設立したのである。創立発起人には、千葉県会議員の秋山房次郎や資生堂創設者の福原有信らが名を連ねていた。大正末期、たとえば那古町をみると安房銀行・古川銀行・房州銀行の各那古支店が設けられていた。これらの銀行が後に、銀行法が公布されたことで、古川銀行や房州銀行、第九十八銀行などが統廃合を繰り返して、1948(昭和18)年に現在の千葉銀行として出発していったのである。

09年2月19日 13,272

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