期日 | 2月17日 |
時間 | 10時00分〜14時30分 |
場所 | 那古寺(駐車場) |
【那古=なご】…安房の玄関口と門前町
坂東三十三札所の結願寺として知られ、多くの巡礼者が訪れた補陀洛山那古寺は、平成の大修理を終え、今秋には落慶します。かつての那古は門前町であるとともに、江戸と房州をむすぶ押送船の港町として栄え、近江商人などの交易拠点でした。十返舎一九の『房総道中記』では、宿屋や飴屋などで賑わった那古の様子が描かれています。明治になると蒸気船が運行し、汽船場となった那古桟橋の周辺は、保養地や海水浴場あるいは転地療養の地として、尾崎紅葉や長塚節ら文人をはじめ東京方面から多くの人びとが訪れ、いっそう賑やかになりました。那古から生まれた「房州うちわ」は、丸亀・京都とならんで「国内三大うちわ」といわれ、伝統的な工芸品として親しまれています。
【船形=ふなかた】…海と漁港のまち
昔から漁業の町として発展し、崖観音に漁の安全を祈願してくらしてきました。船形という地名は、その堂山が船を伏せた形に似ていることに由来しているそうです。水難事故が増えた江戸末期には港の整備が始まり、船形村の名主・正木貞蔵は大工事の防波堤を築き、今でも残っています。貞蔵の長男・清一郎は千葉県水産界のリーダーであり、船形町長としても地域に大きな影響を与え、その功績を称え漁港前には銅像が建立されています。明治期財界の大御所であった渋沢栄一は、虚弱児童の転地療養先として東京市養育院安房分院(現船形学園)を創設し、自ら初代院長となり、生涯のライフワークとして尽力しました。