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タイトル:戦争遺跡と平和学習
掲載日時:2009年02月02日(月曜日) 20時11分
アドレス:http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=12

19世紀以降、房総半島南端部(安房)や江戸湾は海防政策上大きな関心が払われ、お台場などが建設された。「富国強兵」のスローガンのなか、とくに日清・日露戦争前後から房総半島と三浦半島などの東京湾沿岸は、軍事戦略上の最重要地域として位置づけられていった。1880(明治13)年、東京湾に侵入する敵艦船の航行を阻止するために、当時最高の建設・軍事技術によって東京湾口部の要塞建設が開始され、その後半世紀にわたって莫大な軍事費を注ぎ込んで、1932(昭和7)年に「東京湾要塞」は完成した。

とくに東京湾口部に位置する館山は、帝都東京と横須賀軍港防衛の最前線として特別な役割を担い、日本の近現代史と深く関わる歴史的特性をもつ地域になっていた。20世紀前半の安房の地域史は、まさに「戦争の世紀」であったことを多くの戦争遺跡が示している。館山海軍航空隊洲ノ埼海軍航空隊館山海軍砲術学校などさまざまな軍事施設が設置された。なかでも「陸の空母」と呼ばれた館山航空基地は、’37(昭和12)年の「渡洋爆撃(中国重慶への無差別都市攻撃)」をはじめとするアジア侵略や、’41(昭和16)年のハワイ真珠湾攻撃などにおいて特別な役割を担っていたことが分かってきた。安房地域の戦争遺跡は、その調査を通じて加害の歴史を知ることができ、赤山地下壕もその航空戦略に基づいて建設されたと推察されるのである。

戦争末期の沖縄戦のなかで、安房地域はアメリカ軍上陸を想定され、国体護持や帝都防衛(松代大本営建設)のかけ声のもと、本土決戦体制が敷かれた。7万人近い陸海軍の部隊が配置され、さまざまな特攻基地が建設されていった。住民たちも軍隊の盾になるよう仕向けられた「ニセ陣地」づくりに動員されるなか、敗戦を迎えた。

8月15日の後、「玉音放送は敵の謀略」として館山ではクーデター騒動が絶えなかった。なかでも、マッカーサー機の撃墜計画があり、その阻止のため大本営から遣わされた使者として館山に送り込まれたことを鈴木文郎氏が証言している。

9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書の調印がおこなわれると、翌3日、館山海軍航空隊の一角に、アメリカ陸軍第8軍3,500名が占領軍として初上陸し、わずか4日間ではあったが、沖縄以外の本渡では唯一「直接軍政」が敷かれた。歴史から消されたこの事実は、近年、学校の記録から発見され、近代史において重要な世界的出来事であるとアメリカ歴史学者からも評価された。

安房の戦争遺跡には、軍事施設を中心に、近現代日本の歩みをさぐるうえで重要なものが多い。なかでも「15年戦争」スタート時の航空戦略での最前基地であったり、対米英戦のなかでもアジア侵略の拠点であるなど、加害の歴史に関わっていることを忘れてはならない。それは沖縄・松代、そして広島・長崎にいたっていく歴史的事実を鮮明にしていくためにも、近現代史において重要なことである。

同時に重要なことは、戦時下における住民や子どもたちがどのように戦争に巻き込まれていったかということである。それは国家政策において、「花作り禁止令」のもと命がけで花の種子を守った農民の勇気であり、軍事利用研究のためのウミホタル採集を命じられていた子どもたちの思いである。あるいは、明治期からアワビ漁のために渡米移住し、日米親善の架け橋となりながら、戦争によって引き裂かれてしまった房総漁師の子孫たちが今、戦後60年を経て初対面や墓参を果たしている。安房の戦争遺跡は、加害と被害の両面から平和を学ぶことができる「生き証人」といえる。

日本列島の頂点に位置し太平洋に開かれた房総半島南部の安房は、軍事戦略上の要衝として支配権力の影響が大きい地であるとともに、古代から海を通じて人びとが行き来した交流の地でもある。戦争遺跡ばかりでなく、ハングル「四面石塔」や遭難船供養の記念碑をはじめとする館山の歴史・文化遺産から、先人たちが培った「平和・交流・共生」の精神を学ぶことができる。

世界遺産条約は、世界の人びとが異なる歴史・文化や価値観をお互いに尊重し、学び理解するなかで、世界の平和発展の礎にしようという理念をもっている。21世紀になり、人口の大半は戦争を知らない世代となり、戦争体験の風化がすすむなか、平和を学ぶ「生き証人」として戦争遺跡の価値が高まっている。

1990年代より千葉県立安房南高校の教諭愛沢伸雄(当NPO法人安房文化遺産フォーラム代表)による戦争遺跡の調査研究と高校の平和学習実践が始まった。「学徒出陣50年」「戦後50年」における市民の集いを経て保存を求める声が高まり、保存運動とフィールドワークをすすめていった。

これを受けて1997年以降、館山市文化財審議会が調査をはじめ、2002年には館山市と財団法人地方自治研究機構による共同事業として実施された『館山市における戦争遺跡保存活用方策に関する調査研究』の報告書では、館山市の目標像として「地域まるごとオープンエア―ミュージアム・館山歴史公園都市」と位置づけられた。これに基づき、2004年に平和学習拠点として「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」が整備・一般公開され、これに伴いNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(愛沢伸雄代表・現在改称)を設立、年間約200団体のスタディツアーガイドを実施している。同年夏、戦争遺跡保存全国ネットワーク主催、館山市・同教委・同NPO法人の共催による第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会が開催され、翌年には赤山地下壕跡が市指定史跡となった。館山のみならず安房全域の戦跡群として保存され、「地域まるごと博物館」の実現が期待される。


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*東京情報大学制作のドキュメンタリー映像『南房総の戦争遺跡をたずねて』はこちら

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