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6〜7000年ほど前の縄文期は、現在の標高20〜30mくらいに海水面があり、その海岸線の高台や海食洞穴などが住居になっていたことが、稲原貝塚や鉈切洞穴遺跡からわかる。その後、自然に海岸線が後退しただけでなく地震による隆起が繰り返され、沖ノ島周辺の海中から現在、縄文土器や魚介類・イルカなどの遺物が発掘され、海中が陸地であった痕跡がわかる。洞穴から人骨や副葬品の勾玉などが発掘されるなど、海食洞穴が墳墓として利用されていた。なかでも大寺山洞穴では、丸木舟や甲冑などが多数出土し、全国でも珍しい舟葬墓が発見されている。

8世紀半ば、平久里川河口から上流3〜4km地点の砂丘上には、安房国の国府や国分寺があったといわれている。河口の湊は『日本書紀』での「淡水門」と推定されている湊とされ、大和朝廷が関東へ進出する際の海上交通拠点であり、関東の豪族が天皇への服属儀式をおこなった場所と考えられている。海産物にめぐまれた安房国では、鰒が特産物として指定され都に運ばれていったが、平城京から出土した木簡という荷札がからそのことがわかる。なお、平安期には延喜式において安房神社や洲崎神社、洲宮神社などが式内社として位置づけられた。

09年2月3日 24,009

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