タイトル: | 戦跡などの文化遺産を活かした館山のまちづくり=『月刊社会教育』2013.7 |
掲載日時: | %2013年%07月%01日(%PM) %22時%Jul分 |
アドレス: | http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=589 |
池田恵美子(NPO法人安房文化遺産フォーラム事務局長)
東京湾口部に位置する館山市は、幕末から台場が置かれ、明治期から東京湾要塞の拠点となった。空母パイロット養成の館山海軍航空隊や、陸戦訓練の館山海軍砲術学校、兵器整備兵養成の洲ノ埼海軍航空隊などが次々と開かれ、重要な役割を担っていた。戦争末期には本土決戦が想定され、陣地やさまざまな特攻基地がつくられた。忘れ去られた歴史は、高校教員の調査研究から明らかになり、注目されていった。
この調査内容は、1993年に開かれた「学徒出陣50周年」に関わる資料展示会で発表され、市民の関心を集めた。「戦後50年」にあたる1995年には、200名を超える市民が実行委員会を結成して、1年近い聞き取り調査を実施し、8月に開催した集いには2,000名以上の市民が参加した。これを契機として、公民館講座や戦跡の見学会が繰り返されるなかで、破壊あるいは放置されている戦跡を保存することへの世論が高まった。
折しも、広島原爆ドームの世界遺産登録を機に日本でも戦跡は文化財指定の対象となり、「戦争遺跡保存全国ネットワーク」の発足によって各地の市民や研究者が連携するようになった。館山の戦跡は歴史教育者協議会やメディアを通じて広く発信され、遠方の学校や諸団体も平和学習で来訪するようになり、市民ガイドの活躍がはじまった。この背景を受け、旧富浦町(現南房総市)では自然公園である大房岬の幕末砲台跡と東京湾要塞の戦跡群を、2002年千葉県内初の文化財に指定した。
翌年、館山市は財団法人地方自治研究機構と協働調査研究事業を行ない、『平和・学習拠点形成によるまちづくりの推進に関する調査研究—館山市における戦争遺跡保存活用方策に関する調査研究—』の報告書を発表した。これによると、文化財として保存・活用が見込まれる戦跡は47カ所あり、その内訳は別表のとおりで、全国的にも重要な戦跡群の集中していることがわかった。なかでも全長1・6キロメートルの大規模な館山海軍航空隊赤山地下壕跡は、戦後の払い下げにより市有地(公園用地)であったため、安全性確認のための地質調査を行なったうえで壕内部が整備されて、2004年4月に見学ルート250メートルが公開された。翌年1月には、館山市の戦跡としては初めての市指定史跡となり、平和学習の拠点として全国から注目されるようになった。
【別表】評価別にみた館山市内戦争遺跡の状況
・Aランク(近代史を理解するうえで欠くことができない遺跡)=18
・Bランク(特に重要な遺跡)=13
・Cランク(その他)=16
・合 計=47
前述の報告書において、館山市は「戦争遺跡を歴史的遺産として本市の歴史の流れを踏まえた都市づくりの中に位置づけることが肝要」としたうえで、「戦争遺跡を組み入れた都市づくりの目標像を『地域まるごとオープンエアーミュージアム(フィールド博物館)・館山歴史公園都市』と設定」している。2011〜15年度の『館山市基本計画』では「戦争遺跡を、館山の歴史を知るための歴史遺産として位置付け、市民や来訪者の歴史学習や平和学習に活かすため、広く市民の理解と協力を得ながら、その保存と活用に努めます。また、環境の整備がすすむ『赤山地下壕跡』に加え、周辺の戦争遺跡を保存するための環境を整備し、見学ルートを整備するなど平和学習の場を広げます」と明記されている。赤山地下壕跡のほかは整備・公開に至っていないものの、自治体の取り組みとしては全国から先進事例といわれる。
1996年、館山市の里見氏稲村城跡が市道建設計画によって破壊されるという状況が起きた。稲村城跡は、戦国期の大名里見氏が15世紀後半に安房国を平定した頃の本城であり、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』にも登場する舞台のひとつである。500年前の城跡がのこせなければ、50年前の戦跡をのこすのは難しいと考えられ、併行して「里見氏稲村城跡を保存する会」が発足した。1万筆近い署名を集め、市議会へ提出した請願書は6回の継続審議を経て、2年後に採択され、市道建設の計画は白紙撤回となった。
保存会では3年がかりで城跡のヤブを刈り、遺構をめぐるウォーキングルートの整備と看板づくりを行なった。さらに研究者の協力を得て、房総里見氏と稲村城跡を学ぶ講演会やフィールドワーク、展示会「わたしたちの稲村城跡大発見フェア」の開催、資料集『里見氏稲村城跡をみつめて(全5集)』の刊行など、さまざまな文化活動を繰り返した。
保存会は当初より稲村城跡の保存と国史跡化を目ざしたが、行政圏を超えた広域の活性化につながるように位置づけ、単体ではなく安房地域の城跡群が複数で指定されることを目標とした。2003年以降は毎年、県内外の国史跡を巡見し、先進事例の史跡化プロセスや活用方法について学び、関係者との意見交換や交流を行なってきた。市当局や教育委員会も地元地権者の理解を得ながら、2006年には国指定史跡を目ざす調査事業をスタートさせた。
17年にわたる息の長い草の根運動が実り、2012年1月、里見氏稲村城は南房総市の岡本城跡とともに国史跡指定が告示された。現在、館山市教育委員会では稲村城跡保存管理計画策定委員会が設置され、検討がすすめられている。
戦跡も城跡も、価値がわからなければ破壊され、あるいはゴミ捨て場と化してしまう。しかし価値が認められれば、文化財となる。価値がないと思っていた人々に価値を認めてもらうためには、学習と同時に目に見える活用の実践が必要といえる。
当初、戦跡のイメージは暗く、花と海の南房総の観光にふさわしくないといわれたが、市内外の人々が平和学習に訪れた実績が追い風となって、市当局は全国に先駆けた取り組みを始めた。一方、保守的な風土の地域において、城跡についても一度決まった公共事業を変更することはできないといわれた。戦跡と城跡という異質な二つの保存運動が同時期に行なわれ、どちらも成功したカギは、相乗効果が高まるような文化活動の企画にある。
たとえば「里見ウォーキング」は、赤山地下壕や館山城跡の城山公園などの文化遺産をはじめ、ヒカリモや縄文サンゴ層などの自然遺産などをめぐる10キロコースを設定し、各ポイントに市民ガイド約50人を配置したポイントラリーである。城跡から城跡を結ぶ古道を歩く「里見の道ウォーキング」や、ミニ講演と組み合わせたウォーキングで地域の歴史文化にふれる「里見紀行」など、これまでにはなかった多様な取り組みを実施してきた。2001年には、里見氏の発祥地といわれる群馬県の旧榛名町(現高崎市)や改易後の終焉地である鳥取県の旧関金町(現倉吉市)に呼びかけ、両町長や千葉県知事をパネリストとしたシンポジウム「里見サミット」を開催した。
このような経緯を経て、赤山地下壕跡が一般公開となった2004年には、二つの保存運動を母体として当NPO法人を設立し、館山市との共催により第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会を開催した。
文化財保存運動には市民の学習活動が欠かせないが、活用のニーズがなくては保存への扉は開かない。学術的な堅い取り組みだけでも、知的好奇心の高い一部の市民しか集まらない。そこで、参画する市民の裾野を広げるために、変化球的な催しもおこなってきた。最も顕著な事例として、城山公園で開催した「戦国こすぷれ大会」が挙げられる。館山では市民の手づくり甲冑がさかんだったため、そのコラボレーション企画として発想し提案した。数年前はまだコスプレに対する社会的な偏見が拭えなかったが、すでに世界ではクールジャパンと呼ばれる日本のアニメやコスプレが人気になっていた。行政や観光協会の理解を得て開催に踏み切り、城山にある市立博物館にも戦国コスプレイヤーが闊歩した。驚いたことに、全国から集まった若者は歴史を愛好する真摯な勉強家であり、衣装はアニメやゲームに登場する武将をまねた手づくりだという。実物の城跡を舞台に戦国武将になりきれるイベントとして喜ばれ、ギャラリーとして集まった一般市民にも好評であった。
文化財保存運動に伴う市民の調査活動によって、世界史的な出来事も浮き彫りになってきた。たとえば、終戦直後に米占領軍3,500名が上陸し、館山は本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたことが挙げられる。これは旧制安房中学の日誌から分かったことであり、今では『千葉県史』にも記載されている。
また、アメリカ軍の日本本土侵攻計画「コロネット作戦」の地図では、関東一円をターゲットとした中心は館山を指している。この計画立案に際して作成された『日本各県マニュアル』の千葉県第1分冊抄の序文を見ると、「このマニュアルの基になっているデータには、1945年7月1日現在、カリフォルニア州モントレー駐屯地で入手した情報を含む」と記されている。
このモントレーは、明治期に渡米した房総アワビ移民の移住地である。器械式潜水具によって寒流のモントレー湾でアワビ漁を行ない、アメリカの食文化に影響を与えた。日米の国旗とUSAの文字が背中に染められた万祝が、彼らの成功を物語っている。しかし日米開戦後、強制収容所に送られて米軍への忠誠を誓わされ、米軍兵士として戦場に向かった者も少なくない。その環境下において、房総アワビ移民から情報を収集し、先の千葉県マニュアルに反映されたものと考えられる。
戦争を経て忘れ去られた移民の歴史は、水産学者の著書に示唆を受けた市民によって調査が進められた。在米の歴史研究者と情報交換がされ、「戦後60年」の日米平和祈念交流につながった。来日したモントレー市民40名は、戦跡やアワビ移民ゆかりの地をめぐり、言葉の通じない二世三世同士の感動的な出会いや先祖の墓参も実現した。
一方国内でも、同じ東京湾要塞の戦跡である第三海堡の保存・活用に取り組んでいる神奈川県横須賀市追浜地区の市民団体とも連携を図り、今夏には「東京湾まるごと博物館シンポジウム(仮称)」の共催企画が検討されている。文化遺産を活かしたまちづくりは、単独地域にとどまらず、広域な他地域連携の市民交流によりさらなる効果が生まれている。
【プロフィール】いけだえみこ
NPO法人安房文化遺産フォーラム事務局長。
青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会事務局次長。
NPO法人全国生涯学習まちづくり協会理事。
公益財団法人地球友の会理事。