戦争末期に空襲から戦闘機を守るために作られた格納庫。河岸段丘を利用し、学生や住民、兵士たちによってつくられた。
作り方は、土マンジュウを盛った上に木材等の資材でおおって形を整え、その上にコンクリートを流し、固まった後に土マンジュウを崩し除く。赤山周辺だけでも10基余りあったが、現存するのはこの1基のみ。
館山市内には、山すそに掘られた大型洞窟式の爆撃機用掩体壕も残っている。
※下段添付の掩体壕パンフレットは、2006年3月に東京大学教育学部付属中等教育学校5年在学の石川貴裕さんが、「戦争遺跡を通して学ぶ平和学習」をテーマに自由研究を行なった際に制作したものである。