タイトル: | 鈴木文郎*マッカーサー機撃墜計画を中止させた使者 |
掲載日時: | %2004年%08月%22日(%PM) %22時%Aug分 |
アドレス: | http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=431 |
1945年(昭和20年)8月18日、午前9時10分、大本営本部(現在の市ヶ谷駅の西方300メートルの市ヶ谷台上にありました)航空総軍兼航空本部付ロ号班員だった23歳の私は、極めて重大な任務を命ぜられました。それは大本営本部の使者として東京湾要塞司令官以下の要塞配備部隊を説得する役目でした。
そのころ現在の千葉県館山市(東京湾の東側にある房総半島の先端の地域)に東京湾要塞司令部があり、そこは東京湾上に飛来する米軍機を迎撃する第一線の拠点でした。
1945年8月15日に日本は降伏しましたが、それを不服として戦争を続行しようと行動を起こした部隊が各地にありました。中でも東京湾要塞司令部はなんと、日本を占領し軍政を敷く米軍の最高司令官マッカーサー元帥の搭乗機を東京湾上で撃墜しようと計っていたのです。
大本営本部はこの動きをいち早くキャッチし、すぐさまこれを中止させるため、説得に動きました。「撃墜の行動は中止せよ」の大本営本部の命令書を携えた私を東京から軍用車で館山市に急行させるとともに、大本営本部は電話で東京湾要塞司令官の説得にあたりました。このような強い説得行動によって、東京湾要塞司令部は撃墜する行動を中止しました。説得は成功したのです。この経緯を知る人は、当時、大本営でも当事者のほか数人しかいませんでした。
1945年8月30日、マッカーサー元帥の搭乗機は高度8,000メートル(当時の対空砲火で確実に撃墜できる飛行高度)で飛来し、無事に現在の神奈川県の厚木飛行場に着陸しました。 万一、このとき撃墜事件が発生していたら、米軍は報復として第三の原爆を首都東京に投下したかもしれないとさえ考えられる状況だったのです。
1945年8月31日、私は大本営本部ロ号班員の任務を解除されました。
後年、私は米国の大学院医学研究科に学んだとき、指導教授から「あなたは軍籍があったとき、やるべきことをやられた」と評価されたことは、今日までの私の最高の喜びでした。
ここで、私が勤務していた大本営本部ロ号班について少し触れてみます。ロ号班の「ロ」はロケットを意味するのです。今日の宇宙船の基となったと言える、ドイツで研究されたV1号、V2号に関するドイツ語の文献資料を、同盟国であった日本に潜水艦で運び込み、これに基づいて大本営本部ロ号班が主体となって研究開発がすすめられていたのです。 打ち上げ実験の場となったのは、湘南の鎌倉海岸でした。ここに登場したのが日本で研究開発をしたロケット機「秋水」で、上昇力は一万メートル六十秒というものでした。しかし戦争の終結とともに研究開発は中止となりました。 ロケット機の研究開発に関する軍機密書類(当時としては最高の機密書類でした)保管管理ボックスは20数個ありました。
私はこの軍機密の保管管理責任者でした。大本営本部の焼却処分命令を受けた私は、1945年8月15日13時から15時30分までの時間帯で、これらの総ての軍機密書類を焼却処分してしまいました。 今日の防衛庁の図書保管室では第二次世界大戦中のロケット機の研究開発活動や大本営本部ロ号班については空白となっています。その資料は存在しないのです。 もし焼却処分をしなかったなら、ロケット機に関する情報はドイツ国で没収されたように日本国でも同じ目に会ったでしょう。私はこのことに深く関わった一人でした。
これまで述べてきましたことは、第二次世界大戦中、私が大本営本部で体験したことの一駒にすぎないほど、いろいろなことがありました。 私は第二次世界大戦中、いく度か死に直面したことがありました。 そのとき、そのことにすばやく焦点を合わせ、よく考え、忍耐強く行動したのが幸いして生きのびることができました。 私と同じ年代を生き、大きな希望を持ちながら青春の身を戦場に散って行った多くの友を思い、そして、当時の日本国の青年層で戦死者が最も多かったのは、1922年(大正11年)生れの青年でした。私もその年の生れです。
大本営本部の勤務を解除された私は、第二次世界大戦での体験と、多くの友を失ったことから私の生きる道がはっきりしました。つまり、“人のいのちを長くする仕事をしよう“と決心したのです。その日から60年近い歳月が過ぎました。 私は新老人といわれる年輪を重ね、今を生きています。若い日の過酷な試練に耐え、これからの人生の生き方を決断した日に思いをはせるとき、私の人生はこれでよかったと自己評価する今日このごろです。
・『私たちの遺書〜語り残した戦争体験』日野原重明編著
・(2004.8.22.第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会にて)