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タイトル:【あさひふれんど】131101*2人の繁(ワシオトシヒコ)
掲載日時:%2013年%11月%01日(%PM) %16時%Nov分
アドレス:http://bunka-isan.awa.jp/News/item.php?iid=906

2人の繁

ワシオトシヒコ

(あさひふれんど2013.11.1付)

館山市図書館創立70周年記念の私の拙い講演を無事に終えたが、当日前までの下調べで、意外な事実がわかった。

館山は、房総半島の南端に位置する常春のような地。戦前には結核療養所もある静養先として、戦後から現在へ至っては主に観光景勝地として、多くの芸術家、文化人たちが移住したり、往来したりしている。そのなかでも私がもっとも話題にしたいのが、二人の「繁」だ。

一人は、いわずとしれた日本の重要文化財「海の幸」を布良の小谷家で描いた明治時代の早逝の洋画家、青木繁。もう一人が、若山繁。本名ではまったくわからないだろうが、雅号的にはなんと、あの〝漂泊の歌人〟若山牧水なのである。

牧水は、青木繁の三つ歳下。旧知の間柄ではないけれど牧水は自身の何番目かの歌集に、青木の作品を挿画として使いたいと第三者を通し、申し出ている。実現しなかったものの、「海の幸」の舞台の布良をぜひ観たいという願望が生じ、1907(明治40)年、複雑な関係の恋人園田小枝子を伴い、訪れている。その折に詠んだ作品三首の白御影石の歌碑一基が、隣接する白浜町の根本海岸の国道沿いに立っている。

は、牧水の代表作だけでなく、私自身の処世の姿勢を方向づける光ともなっている。

それに。この大らかな歌いぶり。

一方の青木も、すでに絵描き仲間たちと布良をめざし、恋人の福田たねも加わっている。二人の「繁」にとっても館山は、まさしく、恋の炎の地だったのだ。

(あさひふれんど千葉 2013,11,1)

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