タイトル: | 【東京新聞】200803*伝説の名優 故郷の素顔 早川雪洲 |
掲載日時: | %2020年%08月%03日(%PM) %15時%Aug分 |
アドレス: | http://bunka-isan.awa.jp/News/item.php?iid=1362 |
(東京新聞2020.8.3)‥⇒印刷用PDF
米ハリウッドの草創期から俳優として活躍し、アカデミー賞助演男優賞にもノミネートされた早川雪洲(一八八六〜一九七桟年)が一九三〇(昭和五)年五月、故郷の千葉県南房総市(旧千倉町)に凱旋した際に撮影された未公開ショットを含む写真五枚が見つかった。伝説的スターの面影をしのばせる貴重な資料となりそうだ。
(山田雄一郎)
発見された写真は、英語のアルファベットが染め抜かれた浴衣を庭先で着こなす姿や、安房北条駅(現JR館山駅)で大勢の人に囲まれた光景など。旧千倉町史に使われた、特産品のビワが入ったかごを持つ一枚を除き、四枚は未公開とみられる。
いずれも、千葉県館山市で写真館を経営していた故川名竹松さんが撮影し、原板とともに屋根裏で保管していた。写真原板のガラス乾板を収めていた小箱には「早川雪洲 五、五、三」と記されており、撮影時期は三〇年五月三日ごろとみられる。
写真館の廃業に伴い、川名さんの親族が五年ほど前に館山市立博物館に寄贈した資料約七千三百点に含まれていた。同博物館は、雪洲の写真を含めた資料の公開準備を進めている。
早川雪洲の伝記「セッシュウ」(講談社刊)の著者、中川織江さん(文学博士)の話 撮影者、写真館名が特定されたこと、原板が発見されたことは大変貴重で価値がある。
(ハリウッドのある)米ロサンゼルスの日本人町には盆踊りがあり、浴衣もあれば染屋もあったはずで、ABC柄の浴衣は雪洲が土産として持ってきたと思われる。背筋を伸ばした堂々とした姿からは、日本が(内向きに)縮こまっていた時代に、独立独歩で道を切り開いてきた強い自信が伝わってくる。
はやかわ・せっしゅう 本名早川金太郎。旧海軍兵学校の受験に失敗した後、1907年に単身渡米し、ハリウッドのサイレント映画でデビュー。エキゾチックな表情が米国女性の間で人気となり、喜劇王チャプリンらと親交を持つ。第1次世界大戦後は英仏でも活躍。米欧でトップスターに輝いた最初のアジア系俳優となる。米英合作映画「戦場にかける橋」(57年公開)では厳格な日本軍将校を演じ、アカデミー賞助演男優賞候補となる。73年11月、肺炎のため東京都内の病院で死去。
(写真)
上 千葉県館山市立博物館への寄贈資料から見つかった浴衣姿の早川雪洲の写真
下 浴衣の柄は拡大すると英語のアルファベットと分かる