地方から発言
「平和」のまちづくり推進
愛沢伸雄(NPO法人安房文化遺産フォーラム)
(毎日新聞2015年8月11日付)
ユネスコでは、対立や争いを創造的な対話によって解決していく価値観を「平和の文化」と提唱している。私たちは地域から「平和・交流・共生」の精神を活かした「平和の文化」のまちづくりを呼びかけ、市民が主役になったNPO活動につとめてきた。単に戦争がない状態を平和と捉えるだけでなく、貧困や差別、環境破壊のない持続可能な地域社会を目指している。
東京湾口部に位置する要衝の地・館山には、幕末から御台場がつくられ、明治期からは半世紀をかけ強力な東京湾要塞砲台群が配備された。昭和に入って、館山海軍航空隊や館山海軍砲術学校、洲ノ埼海軍航空隊などが置かれ軍都となった。戦争末期、「本土決戦」が想定され、数多くの陣地や特攻基地がつくられたものの敗戦となり、その直後に米占領軍の上陸地となった。4日間ではあるが、本土では唯一「直接軍政」が敷かれた地域である。館山にのこる戦跡は、近現代日本の歩みを知るうえで貴重なものが多い。
「戦後70年」である今年、「戦跡や文化遺産を活かしたまちづくり〜館山まるごと博物館」をテーマに、9月5日から7日まで千葉県館山市で第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会を開催する。
振り返ると「戦後50年」平和を考える市民の集いを契機に、館山海軍航空隊赤山地下壕跡の保存を呼びかけ、2003年、館山市は平和学習拠点としての整備事業を決めた。翌年に平和ガイド活動をおこなうNPO法人安房文化遺産フォーラム設立、その年4月に赤山地下壕跡が一般公開となった。そして、夏には前述の戦争遺跡の第8回大会が当地で開催され、2005年には市の指定史跡となった。以来、現在まで県内外より年間二万人近くの入壕者がある。
これまで赤山地下壕跡だけでなく、小説『南総里見八犬伝』で知られる房総里見氏の中世城郭・稲村城跡の保存運動を17年間、続けてきた。この市民活動は、歴史・文化を活かしたまちづくりを地道にすすめ、2012年に念願の国史跡となった。さらに過疎と高齢の漁村集落を活性化するため、2009年、青木繁『海の幸』(国重文)が描かれた小谷家住宅を市指定文化財にしてきた。この取り組みでは、地域の人びとと全国の画家が力を合わせ、資金を集めながら修復事業を実施し、来年4月の公開を準備している。
前回の戦跡大会以降、市民の文化財保存・活用は、点から線につながり面となり、官民協働のまちづくりに活かされている。今回の大会は「戦後七〇年」として、あらためて「平和の文化」を心に刻み、「平和・交流・共生」の精神を「ピース・ツーリズム」につなげたいと思っている。
そこで地域全体を「館山まるごと博物館」と見立て、市民が主役になった活動を進めながら、戦跡など多様な自然遺産や文化遺産に磨きをかけていくとともに、「平和の文化」を伝えていくガイド活動を深めていきたい。地域に根ざした平和教育や平和創造の活動は今、正念場といえる。
あいざわ・のぶお 1951年、北海道下川町生まれ。千葉県高校社会科(世界史)教員。館山市観光協会理事。千葉大学教育学部非常勤講師。
館山軍政〜少年が見た占領
半裸で上陸した米兵(上)
(朝日新聞2015.8.30付)⇒印刷用PDF(連載2本)
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館山は沖縄以外で唯一、配線の直後に米軍が軍政を敷いた占領地区とされる。軍政は住民の目にどう写っていたのか。証言と資料で70年前を振り返る。
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1945年8月30日昼。
「来たぞ!」。室内から一斉に声が上がった。館山港を見下ろすと、先遣隊の上陸用舟艇が岸壁に近づいてきた。元館山市教育長の高橋博夫(87)は「たしか4隻だった」と記憶をたどる。
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この日、連合国軍最高司令官マッカーサーが厚木飛行場に到着し、米軍が主力の連合国軍は日本各地に進駐を始めた。千葉県には本隊の作戦を円滑に進める先遣隊として、米第4海兵連隊が富津、館山に上陸した。
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双眼鏡でのぞくや、高橋は米兵の姿に目を奪われた。上半身は裸。「緑色っぽいショートパンツを履き、肩からピストルを提げていた」。室内に居合わせた数人からも「なんだ、敵地に上陸するのに裸なんて」「日本なら考えられない」の声が上がった。家から岸壁まで300余メートル。遮るものは当時なく、よく見渡せた。
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