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「海の幸」絵画に感動 館山

富崎小児童 東京の「青木繁展」を鑑賞

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館山市の市立富崎小学校(川名裕子校長・児童数10人)の子どもたちがこのほど。東京ブリヂストン美術館で開かれた「没後100年・青木繁展」を鑑賞した。地元ゆかりの画家にある青木繁の代表作「海の幸」などを鑑賞した。

日本でも有数の画家として知られる青木繁。富崎には縁が深く、同地区の民家に滞在しながら、布良の漁師を描いたといわれる「海の幸」は代表作となっており、記念碑も建っている。

同行では青木繁について、安房節伝承、アジの開きづくりとともに「3つの『あ』」をキャッチフレーズに、地元のよさ、伝統を活用した総合的な時間「やってんべぇ富崎」のなかで、地域と交流しながら学習。

没後100年にあたる今年は「青木繁プロジェクト」と名付け、学習支援サポーターや地域住民らの協力のもと、フィールドワークで足跡をたどったり作品を通しながら、郷土のよさを学んでいる。

美術館での作品鑑賞はこの一環。児童の活動を知った県内在住者が「子どもたちのために」と、チケットを贈ってくれたことで実現した。

会場では、「海の幸」をはじめ油彩や水彩など約200点の作品を鑑賞。同校玄関には平成17年度の在校生が制作した「海の幸」のレプリカが飾られているが、子どもたちは「本物をみることができてとっても嬉しい」「いろんな絵を描いていたんだね」と、感激していた。

川名校長は「多くの人の協力で、非常によい学習が出来た。これかたも子どもたちのサポートをしていただければ」と感謝していた。

(房日新聞2011.9.14付)

11年9月14日 8,022

里見氏城跡「稲村」と「岡本」を国史跡指定へ

文化審が文科相に答申

中世山城の変遷知る貴重な遺産

(房日新聞2011.11.19付)

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11年11月19日 9,139

(しんぶん赤旗2011.11.19付)

心結ぶ 生きる力

うたごえ祭典が開幕


「つながる・広がる・共感、明日への希望」をテーマに、2011年日本のうたごえ祭典inちばが18日開幕し、市川市と浦安市の3ヶ所で合唱発表会が行なわれました。地震や津波、原発の被害に心を痛め、生きることや人と人とがつながりあうことをテーマに歌う合唱団も多く、客席では涙をぬぐう姿も見られました。

〝心を結んで歌うことが、明日を生きる力になる〟という静岡の浜松センター合唱団は、被災者の悲しみに心を寄せ、ともに助け合いたいと合唱曲「愛〜悲しみを乗り越えて」を創作。会場から共感の拍手が送られました。

市川市文化会館で開かれたコンサートで「風よあしたに向かって」では、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉やバラライカの演奏に、参加者は熱心に聞き入りました。

地元千葉の200人が、戦時中の花栽培禁止令に抗して花の種を守りぬいた農民の物語「花とふるさと」を歌い、日本のうたごえ合唱団が、核と戦争の愚かさ、困難を越えて歩み続ける人間への信頼を描いた作品を熱唱しました。

祭典は20日まで開かれます。写真は「花とふるさと」を合唱する千葉のうたごえ。

11年11月19日 8,339

(産経新聞2011.11.19付)

里見氏の城跡、国史跡指定へ、稲村城跡と岡本城跡

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11年11月19日 9,012

青木繁≪海の幸≫フォーラム

没後100年記念でブリヂストン美術館学芸員ら招き

(房日新聞2011.8.16付)‥

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11年8月16日 5,467

青木繁の故郷・久留米の関東同窓会

「海の幸」誕生の地訪問(千葉県館山市)

(西日本新聞2011.10.13付)

久留米市内にある南筑、久留米商業、明善、久留米、三潴、久留米大付設各高校と久留米高専のOBで構成する関東圏の同窓会「東京高牟礼会」(馬場和人代表幹事)の有志24人は11日、久留米市出身の画家青木繁(1882〜1911)が国の重要文化財」海の幸」を制作した千葉県館山市を訪問した。

一行は「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」の池田恵美子さんから、青木の没後50年を記念して建立された「海の幸」の記念碑や、青木が描いた布良(めら)の海岸(阿由戸の浜)などの説明を受けた。

青木繁が「海の幸」制作時に約一年半滞在した小谷家住宅では、当主の小谷福哲氏や先代当主の栄氏から、滞在時の出来事などを聞いた。

参加者は「青木がこの海を見ながら名作を描いたと思うと感慨深い。館山市の皆さんから今も愛されている。訪れてよかった」と話していた。

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11年10月13日 10,318

青木繁「海の幸」モチーフ

どっち? 安房神社の神輿 布良崎神社の神輿

「担ぐ姿、絵と類似」両説披露へ 館山で27日

(2011.08.25 朝日新聞千葉版)‥⇒印刷用PDF

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11年8月25日 7,499

NHK-FMラジオの番組「まるごと千葉60分」に、5月9日午後6時から、館山市の街おこし活動に取り組む「NPO安房文化遺産フォーラム」の小沢義宣さんや「サイカチの木を守る会」の齊藤陽子さん、語り部の礒部清子さんの3人が出演する。

同市にあるサイカチの木を中心にした街おこしの取り組みを紹介。サイカチの木には、元禄地震の大津波から人を救ったという逸話が残っており、磯部さんが逸話をもとに創作した語りを番組内で披露する。

11年5月5日 7,573

(朝日新聞2011.11.19付)

里見氏2城跡、国史跡へ

館山の稲村城跡・南房総の岡本城跡

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「南総里見八犬伝」などで知られる戦国大名の里見氏が本拠とした稲村城跡(館山市)と岡本城跡(南房総市)が、国の史跡に指定される見通しとなった。中世における房総半島の山城の変遷や地域の社会情勢を知る上で手がかりになる。今回の指定で県内にある国の指定史跡は計27件。

 

◇中世社会の手がかり

 

県教委によると、稲村城は16世紀前半に3代義通が居城。城の中心部「主郭」の規模や、敵の侵入を防ぐために山を急角度に削った斜面「切岸」の張り巡らされた範囲が抜き出ている。

岡本城は16世紀後半、5代義堯の孫義頼が本拠にした。東京湾を望む丘陵上につくられ、東西約600メートル、南北約300メートルに及んでいるという。

 

◇16年間の運動と1万人署名実る
館山NPO

 

稲村城の国指定史跡を目指して活動してきた館山市のNPO法人・安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(60)は「16年間の運動と1万人の署名が実った。地域の人たちと街づくりに活用したい」と喜んでいる。

標高64メートルの丘陵の山頂、主郭のあった場所に「稲村城跡」の看板が立つ。山を削った曲輪(くるわ)や空堀として使われた堀切り道、土塁など遺構が多く、「戦国時代初期の城が真空パックのように残っている」という。

1996年6月、愛沢さんたちが「里見氏稲村城跡を保存する会」を立ち上げたのは、県企業庁の工業団地への進入路(市道)が稲村城跡を横断すると分かったからだ。市議会や市当局への請願、署名活動を行う一方で地権者を交えて勉強会、現地の草刈りを年2回行い案内板を設置するなど地道な活動を続けてきた。

市道問題が解決した2005年からは国指定史跡化に向けて動き出した。稲村城だけでなく、岡本城跡や白浜城跡、滝田城跡など里見氏ゆかりの城跡をセットで指定するよう運動を進め、各地の城跡見学バスツアーも重ねた。

11年11月19日 8,184

青木繁《海の幸》への想い

館山美術会 顧問 船田正廣

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信州上田生まれの私は、人生の半分以上を安房の地で美術の教鞭をとってきた。私にとって大学の大先輩である青木繁が、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業した明治37年夏、布良という海岸で名画《海の幸》を描いたということは知っていたが、その漁村こそ私の住んでいる館山市内だということは随分長い間気づかなかった。近代西洋画として第一号の重要文化財となった《海の幸》は、私のみならず多くの美術家に影響を与えてきたといっても過言ではない。

素っ裸で隊列を組んで、大きなサメを担いで砂浜を行進するということは、実際に布良の漁師がしていたとは考えにくい。美術学校で、人体美学や美術解剖学を学んだばかりの青年青木繁が、布良の男らしい漁師と荒々しく担ぎゆかれる大魚を見て、人間の労働における身体美、裸で平等に躍動する人体の憧憬に感動したのではないだろうか。この衝撃的な体験と、学校での机上の学問を融合していったとも思われる。男たちの歩く先には大きな夢が満ちているし、目指す先は永遠にあるという確信に満ちた大ロマンを感ずる。

還暦を迎えて県立高校を退職し私立安房西高校の非常勤講師となったとき、私はあらためて《海の幸》とじっくり向き合う時間をもつことができた。私は彫刻家として、彼とはちがうが、彼と同等の衝撃的体験を共有することは出来ないだろうか…と。

そして感じたことは、青木繁は彫刻家以上に彫刻的な絵を描ける画家であるという結論だった。それなら、この絵から必ず彫刻が生まれると確信出来た。なるべく絵画《海の幸》に近い形で、原画と同寸大で彼の感動に迫ってみようと思い、粘土によるレリーフ(浮き彫り)に取りかかった。

1年、2年は制作に行き詰った。その度に、彼の描いた骨組みや筋肉表現に行きつけず頭が下がった。自分の才能も、もういくら頑張ってもこれ以上のものは出て来ないと感じた。3年目に入ったある日、彫塑のヘラを置いた。完成作品の撮影をし、写真の右下に写し込まれた2004.7.31の日付を見たとき、私は身震いがした。青木繁が布良に滞在し《海の幸》を描いた1904年夏から、ちょうど百年目の夏だったのである。私の『刻画・海の幸』はこうして誕生した。その後、この感動に共感してくださった安房西高校の理事長によりブロンズ鋳造され、同校に展示していただいている。

先ごろ布良崎神社神輿世話人である島田吉廣氏は、《海の幸》の構図は神輿の御浜下りから着想したものではないかと自説を披露された。小谷家に隣接している布良崎神社の祭礼は、当時8月1日に行なわれていたという。だったら、7月中旬から布良に滞在していた青木が、漁師たちの神輿が海に入り、また海から上がってくる様子に衝撃を受けたと考えてもおかしくない。さらに10日後には相浜で、安房神社神輿の御浜下りと続く。神話世界を具現化したいと願っていた青木繁にとって、恰好の素材であったに違いない。

8月27日に南総文化ホールで開かれる「青木繁《海の幸》フォーラム」が楽しみである。多くの館山市民、安房の市民にご来場いただき、一緒にこの感動を共有したいと願っている。

11年8月24日 6,189

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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