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原寸大の青木繁「海の幸」

安房西高にブロンズレリーフ、講師の船田正廣さん制作

(房日新聞2010.4.16付)


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10年4月16日 6,915

歩いてしのぶ一揆義民の志

万石騒動史跡ツアー

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江戸中期に北条藩(館山市)で起きた農民一揆ゆかりの地を巡る「万石騒動・安房三義民ウォーキング」が23日、館山市内で行なわれる。今年は、処刑された三義民の「300年祭」にあたり、主催者は「郷土の歴史を守っていきたい」と話している。

騒動は同市北条に陣屋を置き、周辺27か村約1万石を支配した北条藩で起きた。藩政を預かった川井藤左衛門は元禄大地震(1703年)の復興を急ぎ、領民に過酷な年貢を続けた。

これに怒った数百人の農民らは正徳元(1711)年、江戸藩邸に押しかけ、老中にも直訴したという。結局、農民代表の湊村角左右衛門、国分村長次郎、薗村五左衛門の3人の名主が処刑され、藩主の屋代家は失政の責任を取らされて改易、川井らも処刑された。

農民側の勝訴で、これが北条藩廃藩の原因とされる。処刑された3人は「三義民」とたたえられ、処刑場跡地のある館山市国分寺には供養塔が建てられた。現地では毎年11月26日、三義民の命日祭を行なっており、50年ごとに記念法要が営まれている。

ウォーキングは午前10時から正午まで、供養塔、200回記念碑。刑場跡などを歩くコースで行なう。雨天決行。受け付けは同9時45分から、館野地区公民館前広場で。参加費は資料代として100円。岡田晃司・館山市教委主任学芸員が案内する。

11月20日に開く「300年記念祭」に向け、市民有志による万石騒動・安房三義民300年祭実行委員会は賛助金を募り、記念碑の建立を計画している。問い合わせは、NPO安房文化遺産フォーラム(0470-22-8271)へ。

(読売新聞2010.5.16)


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10年5月16日 6,994

(房日新聞2010.3.6付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護⑤現場の窮状「しっかりした評価、待遇を」

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「看護師が足りているなんて聞いたことがない。現場のナースはみんな大変」——。県看護協会安房部会長の小倉理英さん=小田病院勤務=は、いまの窮状を訴える。

「人が少なくても仕事量は変わらない。例えばいままで7人でやってた業務を5人でやらなきゃいけない。そうすれば労働時間も長くなるし、休みだって思うようにとれない。ただでさえ夜勤のある仕事。睡眠時間を削って働いている人も少なくないはず」

看護協会に加盟する安房のナースは約1000人。県内12地域で下から3番目。決して多くはない。しかし、看護師資格を持ちながら職場を離れている「潜在看護師」は、地域に数多くいるという。なぜ現場にナースがいないのか。小倉さんは、離職者が多く、再就職者が少ない現状を指摘する。

小倉さんは、職場に託児所が整備されてないことが大きな原因だと考えている。「やはり子育てが離職のきっかけ。安房でも大きい病院には託児所があるが、ないところがほとんど。安心して子育てができなければ、仕事は辞めざるをえない」。

ただでさえきつい仕事。人の命を預かる重い責任感や、医療過誤への過度のプレッシャーなどをストレスに感じて、職場を去るナースも少なくないという。

日進月歩の医療現場。一度現場を離れると、「ついていけるか不安」と復職にためらいを感じるナースが多い。再就職を支援するため各病院でもさまざまな取り組みを繰り広げているが、成果は芳しくないという。「協会としても再就職支援をしたいが、そもそもナースはみんな仕事に手一杯で、そこまで手が回らない」と切ない事情を吐露する。

そうした中、館山で館山準看護学校、安房看護専門学校が相次いで閉校した。「学校が姿を消したのは大きな問題。ただでさえ館山は個人病院が多く、地元の看護師に頼っている。養成機関は必要だった。学生全員が地元で働かなくても、3分の1でも残ってくれればかなり違ったはず。看護師を目指す若者が増えても、一度都会に出てしまうとなかなか戻ってこないでしょう」。

一方で、開学の準備に入る亀田病院系の看護大学については「協会として大学ができることを応援しているし、多くの学生がきて、安房で働いてくれることを望んでいる」と期待する。

しかし、新たな看護師の供給も先行きは不透明。離職、再就職対策も決め手がない。看護師の不足によって、仕事量は増え、耐え切れずに退職する看護師が出る、そしてさらに看護師不足に拍車がかかる悪循環--。こんなシナリオも、あり得ない話ではない。

同様の構図で問題となっている勤務医不足については、国がようやく対策に力を入れ始めている。「『医者がいない』『勤務医が大変』と言われているが、勤務医の下で働いている看護師だって大変なんです。それなのに社会的に評価が低すぎる。患者さんへの責任もある、医療行為もする、もちろん医療ミスなんてできない、心身ともにハードな仕事。だけどしっかりとした評価がされていない」と待遇改善を訴える。

都市部との賃金の格差も大きく、安房は他の地域と比べても看護師に対する評価が低い、と小倉さんは指摘。「現状では『看護師は好きじゃないとできない仕事』。しかし、いまの若い人たちは給料や労働時間、働く環境をしっかり見定めてから就職する。地域として、看護師のしっかりした評価、待遇がされなければ看護師不足は解消しないのでは」と語った。

(おわり)

◇ ◇ ◇

この連載は石井雅仁、加藤純一が担当しました。

10年3月6日 12,763

女性初の館山市名誉市民で(財)館山ユネスコ保育園園長の本多馨氏が7日午後7時42分、胆管がんのため亀田総合病院で死去した。87歳。自宅は館山市館山582.前夜式が9日午後6時から、葬儀は10日午後1時から、いずれも館山市北条の館山斎場で営まれる。喪主は長男慶晴氏。

同市文化団体連絡協議会(現・芸術文化協会)や南総文化ホール友の会会長などを歴任し、長年にわたって地域文化の発展に貢献。県保母会長として、保母の資質向上や身分保障に関する研究調査などにも活躍した。

また、館山音楽鑑賞協会の会長として、広く市民参加を呼びかけてステージ演奏の機会を企画し、市民とともに鑑賞する活動を展開。草の根ボランティア活動から設立された館山国際交流協会では、文化交流第一委員会委員長として、自主的活動による文化分野での国際交流を促進。誠実で温厚な人柄と包容力は、周囲から絶大な信頼を得ていた。

こうした功績が評価され、昨秋の市施行70周年記念式典にあたり、女性として第一号となる名誉市民の称号が贈られた。

10年3月9日 3,180

【講演抄録】「考古資料からみた安房神社成立の基層」覚書

古くから人の住んだ場所、海人集団首長の崇拝地か

安房歴史文化研究会会長 天野努

(房日2010.1.28)

安房神社の成立のもとはどういうことだったのかを考古資料から考えていく。

文献資料では忌部広成が書いたといわれる「古語拾遺」と、天皇の食膳を担当していた高橋氏による「高橋氏文」の2つの氏族伝承がある。今までは「古語拾遺」が多く語られていたが、最近の文献史学では新しい史料が発掘され、「高橋氏文」は史実を反映しているものだとされるようになった。

「高橋氏文」では▽安房のカツオと貝がセットで天皇の食膳に提供されていること▽高橋氏の祖先が天皇から「大伴部(おおともべ)」と呼ばれる部民を賜ったこと▽安房大神(あわのおおかみ)を御食都神(みつけかみ)として大膳職の祭神としていたこと—などが書かれている。

これまでの記述を証明するものはなかったが、731年の「類聚三代格」という文書の中に、「安房地方で安房大神を祀っていた女性たちが上京して宮中の御食都神を祀ることを命令されていた」ことを示す内容が見つかった。当時は安房神社は、安房大神と言われていたようだ。

これを考古学の資料からみるとどうなるか。

安房の漁村型集落遺跡の沢辺遺跡(南房総市白浜町)では、7世紀ごろの疑餌針が出ている。カツオの骨とウロコもたくさん出てきた。カツオ漁が行われていたのは確かで、「高橋氏文」の内容と符合している。

出土した貝はサザエが多いのだが、アワビオコシの道具も出ている。

平城京跡などから出土した木簡には、安房の「大伴部」がアワビを献上したことが記されている。出土木簡に書かれている「大伴部」姓は安房の人以外にはなく、このことからも「高橋氏文」の内容は史実だと考えられる。

一昨年、昨年と千葉大学の考古学研究室が、安房神社の境内にある安房神社洞窟を再調査した。洞窟のある場所は、6000年前の縄文海進で海が一番高くなった「沼1面」にあたる。出てきた一番古い土器は縄文前期。縄文海進が終わって陸化し、その段階で洞窟になっていたところに人が住み始めている。

安房神社の境内でも以前、縄文時代の土器が採取されたという。安房神社のある所に古くから人が住んでいた場所だ。

境内から出土して、安房神社が今も所蔵している高坏、5世紀のもので市の文化財に指定されているが、これが館山市沼の大寺山洞穴遺跡から出たものとまったく同じ特徴を持つ。安房神社のものは祭祀に使われたと考えられている。

大寺山の高坏は舟形木簡の副葬品だった。時代は同じ。形がまったく同じ高坏は、この2ヶ所以外では出ていない。大寺山では他に鉄の兜、短い鎧が出ている。これも5世紀のもの。短い鎧は房総では珍しいが、ふつうは古墳から出てくる。それが海岸近くの洞窟から出てきた。この遺跡に葬られた人々は、安房の海人集団の首長だと考えられる。

房総半島の中で、祭祀遺跡は(古代の)安房郡=注:現在の館山市、旧白浜町を主とする地域=に集中する。白浜の小滝涼源寺遺跡は4世紀後半からの遺跡だが、石製模造品と言われている剣や鏡が伴っている。祭祀が早い段階で行われていた。房総にはヤマトタケルの伝承もあるが、大和朝廷の東北支配にかかわる遺跡ではないかと考えられている。

5世紀の遺跡になると、土器を使った祭祀品が出てくる。

安房の地域には古代からの漁労民の集落があり、祭祀遺跡や洞穴遺跡がある。特に大寺山遺跡と安房神社境内に同様の出土品がある。安房神社のある場所というのは海人の首長に崇拝される、地域の人にあがめられる、そういう場所だったのではないか。

神社が形を持ってくるのは、天武天皇の時代の7世紀後半から。安房は5世紀ぐらいに大和朝廷の支配下に入っていく。当時の漁労種族、房総半島を回るときの水先案内人のような人々がいて、その中心的崇拝地が安房大神、それが安房神社になったのではと考えられる。

(本稿は平成22年1月23日に館山市コミュニティセンターで行われた同研究会公開講座の内容を要約・再構成したものです)

10年1月28日 3,602

第三回家庭教育学級〜安房の国を再発見

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2月4日、図書館にて、第三回家庭教育学級が行われました。皆さんは地元館山の歴史についてどの位知っていますか?NPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子先生を講師にお迎えして知られざる安房のお話を伺いました。

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安房に残る数々の戦争遺跡にはこの10年間で6千人、いまも年間にして200団体もの人々が国内外から訪れています。大房の砲台跡や赤山地下壕などが有名ですが、たくさんの遺跡があるということはそれだけ戦争の拠点として重要な場所だったことです。もしかしたら沖縄のような地上戦が、この館山で起こっていたかもしれないのです。1945年には米占領軍3500名が上陸し、日本本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれ、館山の街を占領支配しました。ほか、人間魚雷「回天」の格納壕・数々の砲台跡・基地跡など、一時間の講演ではとても足りない戦争の傷跡に驚くばかりでした。

ほとんどの親やよは戦争体験のない世代。遺跡を見ただけでは想像することすらできません。よくわからないから子供にも見せない、敬遠してしまう、という人も多いと思います。安房文化遺産フォーラムの方々は、放置され朽ちかけていたこうした遺跡を、戦争の事実とともに保存しようと調査・研究を続けながら遺跡巡りのガイドもしてくれます。宮城の赤山地下壕は600万年前の地層や、掘削した当時のツルハシの跡も見られるそうです。ぜひわが子にも見せたい、と思いました。そして見塚な遺跡をめぐり、先人たちが築いた知恵や歴史を語り継ぐことの大切さを感じました。

館山海岸通りにある小高記念館という白い建物に、NPO法人安房文化遺産フォーラムはあります。一度足を運んではいかがでしょうか。

(那古小学校PTA広報2010.3.15号)

10年3月18日 4,059

「いのちの山河」上映会に1000人超入場

銀幕とおし地域医療考える

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10年3月10日 4,714

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館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムは13、14の両日、同市の富崎地区公民館で「元気なまちづくり市民講座」を開催する。

14日午前には、生涯学習まちづくりブームの「仕掛け人」として知られる福留強・聖徳大学教授が「日本各地のまちづくり活動の実践事例」について講演。13日には愛沢伸雄・同フォーラム代表の講話や、布良・相浜両地区のウォーキング・イベントなどが予定されている。

また、地域が抱える課題の解決方法を探る「グループ別意見交換」も連日行われる。

両日とも午前10時から午後4時ごろまでの予定で、参加費は無料。同フォーラムの池田恵美子事務局長は「富崎地区に限らず、まちづくりに関心のある方〃はぜひ参加してほしい」と話している。

問い合わせ、申し込みは同フォーラムへ。電話、ファクス0470-22-8271。電子メールはawabunka@awa.or.jp

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(房日新聞2010.2.7付)

10年2月7日 4,135

漁村の食65点を記録

「おらがごっつお」富崎版刊行

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国土交通省のモデル事業として館山市富崎地区の「まちづくり・まち起こし」をすすめているNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、このほど地区に伝わる漁村の献立65点のレシピなどを収録した冊子「おらがごっつお(わが家のごちそう)富崎」をまとめ、地区の約500戸に全戸配布した。

「みずなます」「ナマダ(ウツボ)の塩焼き、から揚げ」「ゴンズイの味噌汁」など、地元の人にはおなじみの料理のほか、「しょだき(塩汁)」「ブダイのづけ寿司」など、富崎地区ならではのメニューも収録。

いまでは、地区でもほとんどつくられなくなった「しょがつ」(カツオの干物のようなもので保存食として正月の神棚に飾る風習があった)の作り方、古くから祝いの席で述べられる「ほめ言葉」や、地区の年間行事も収めた。地元食文化の調査は、市民グループ「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」などが実施。布良、相浜で回覧版を回してアンケート協力を呼びかけ、聞き取り調査を行なった。

調査担当者によると、「ひっくりかえりなます」(ジンタアジの皮を残し、ゼイゴがついたまま仕上げたなます)など、布良ではつくられているのに隣の相浜ではなじみのない料理も見つかったという。

冊子はA5判白黒64ページ。部数が限られているが、600円(税込、送料別)で販売する。希望者は住所と氏名、冊数を記入の上、ファクス(0470-22-8271)じゃ電子メール(awabunka@awa.or.jp)で同フォーラムに申し込みを。冊子の内容は同フォーラムのウェブサイトにも順次掲載される。

(房日新聞2010.4.1付)

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レシピ集「おらがごっつお」の内容はコチラ

上段メニューバー「新たな公」http://bunka-isan.awa.jp/AAA/に収録。

10年4月1日 8,887

【寄稿】高橋銑十郎(館山白百合幼稚園長)

映画「いのちの山河」を観て

対話と実行 遅れていないか〜恵まれすぎた自然をどう生かすか

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10年3月13日 4,854

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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