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婦人保護長期施設「かにた婦人の村」施設長
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千葉県館山市で4月29日、開かれた日本共産党演説会であいさつした、婦人保護長期施設「かにた婦人の村」施設長の天羽道子(あまはみちこ)さんの話を紹介します。
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あいさつの依頼を受け躊躇しましたが、社会福祉にたずさわる庶民の一人として、戦中を生きてきた者として、日ごろ、現在の社会にたいへん危惧を抱いておりました。ことに政治の流れが変わらなければならないと思っておりましたので、お断りすることなくお受けしました。
二つのことをお話したいと思います。
一つは平和のことです。戦争は絶対に放棄しなければなりません。憲法九条に定められていることですが、これがあやしくなってきています。どうしても声をあげていかなければならないと思っています。
お集まりのみなさまの中にも「かにた婦人の村」をご存じの方もおられると思いますが、国有地を払い下げていただいた施設の中に戦跡の地下壕があり、また、敷地内の丘の頂には日本軍「慰安婦」の碑が建てられたこともあり、平和を発信していかなければならないと思っています。
先の大戦で、日本は害を受けたこともありますが、他国へ害を加えもしました。被害と加害の両面を経験しました。今もなおその負の歴史を負い続けています。殊に日本の過ちのために、他国で苦しんでらっしゃる方々がおり、日本でも被害を受け苦しんでおられる方々もいます。その痛みを共有し、記憶していかなければならないと申し上げたいのです。
もう一点は、「品格」という言葉がはやっていますが、「国の品格」「国のありよう」はどうあらねばならないのか、ということです。今日の社会を見て、人間が見捨てられている、とくに弱い立場の人たちがモノのように扱われているという現状に痛みを感じています。
平和を大切にする国、人間を大切にし、自然も動物も草木も、すべての命を大切にする国として、世界に誇れる国になってもらいたい、と思います。
その国をつくるのは誰でしょうか。私たちが選ぶ政治をつかさどる人たちにゆだねる部分が多いでしょう。でもその人たちを選ぶのは、私たち一人ひとりです。世界に誇れる国になるように、みなさまといっしょに念願して、あいさつとさせていただきます。
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■かにた婦人の村
プロテスタント系社会福祉法人「ベテスダ奉仕女母の家」を母体として設立。知、情、意に何らかの障害をもち、長期保護が必要な女性を受け入れてきました。「かにた」とは施設近くに流れる谷川の名前。現在、70人の女性が職員とともに暮らし、農作業や陶芸、パン作りなどの作業をしています。
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(しんぶん赤旗 2009.5.9付)
【朝日新聞】2009.10.14付(福島五夫)
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元海軍特別年少兵・庄司兼次郎さん
戦争体験次世代に伝える
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「君たちの年齢で、私は兵隊になった」。
館山市の慰霊碑前で、元海軍特別年少兵(特年兵)の庄司兼次郎さん(82)は、修学旅行で訪れた中学生に戦争体験を語った。
電気工事業を営むかたわらNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)のボランティアで、戦争遺跡のガイドを務めている。
42年3月の館山市の国民学校高等科を失業し、特年兵1期生として横須賀市の第2海兵団へ。44年7月にフィリピン・ミンダナオ島のダバオへ派遣され、空襲を受けた経験もある。
10月初旬、兵庫県伊丹市立北中学の3年生221人に、「市街戦では子どもや女性など一般市民も戦闘に巻き込まれた」などと語った。
「中学生の年齢で兵隊になるなんて考えられない」と服部大樹さん(3年)。寄せ書きには「日本は戦争の愚かさ、平和の素晴らしさを積極的に伝えるべきだ」などの感想が並んだ。
庄司さんは毎年ダバオで慰霊祭を続けている。その際に中学生たちが作った千羽鶴を供えたい、と申し入れたところ快諾された。
72年公開の映画「海軍特別年少兵」(今井正監督)の撮影で庄司さんは時代考証や演技指導などを手伝った。「戦後65年を迎える来年、この作品を中高生たちと一緒に見て語り合いたい」。そう願っている。
■館山地区公民館、戦争体験語る会
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館山市の館山地区公民館は1月15日午後、同館の主催行事として「米占領軍館山上陸フィルム上映と戦争体験を語る会」を開く。
1時から、NPO法人安房文化遺産フォーラムが入手した終戦直後(昭和20年9月3日)の記録フィルムを上映。2時からは、太平洋戦争時に学生だった3人の女性が自らの体験を語る。
資料代100円。参加者は同公民館(月・水・金曜の午前9時-午後4時、電話23-2482)への申し込みが必要。先着で定員40人。
証言者と内代うは次のとおり。
▽青木うめさん(同市上真倉)「『日本建鉄』(船橋)への学徒動員」
▽黒須禮子さん(鴨川市大里)「白浜の艦砲射撃」
▽佐野ふさ子さん(館山市波左間)「国民学校のころ戦争があった」
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(房日新聞2009.12.20)