「お知らせ」は以下のように分類されています。
【NPOだより(会報)】…「NPOだより」がPDFファイルでご覧になれます。
【メディア報道】…新聞や雑誌などで紹介された記事です。
【イベント】…NPOフォーラムが主催・共催するイベントのご案内です。
【ツアー・講演の感想】…ご来訪者から嬉しいお便りです。
【お知らせ】…その他のお知らせです。
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【リンク一覧】
第20回戦争遺跡保存全国シンポジム長野県松代大会
日程=2016年8月20日(土)から22日(月)
会場=松代文化ホール(全体会)・松代公民館(分科会)
〇20日(土)10:00〜
・見学会①=象山地下壕
・映画「キムの十字架」上映会
○20日(土)全体会13:00〜
・記念講演=和田登氏(作家)
「発想の現場としてのマツシロ〜私の取材ノートから」
・朗読劇「女たちのマツシロ」
・基調報告
・地域報告
○全国交流会(松代ロイヤルホテル)18:00〜
〇21日(日) 9:00〜15:10 分科会(中央校舎)
・分科会①「保存運動の現状と課題」
・分科会②「調査の方法と整備技術」
・分科会③「平和博物館と次世代への継承」
◯22日(月)見学会9:00〜12:00
・象山地下壕・舞鶴山・御座所
ご案内 詳細 参加申込書
(申込、払込締切7月31日)
⇒NPO安房文化遺産フォーラム会員は、参加費を一部補助しますので、NPO事務局までご連絡ください。
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ウガンダコーヒー月間2021
10月はウガンダコーヒーを飲みましょう!
10月1日は国際コーヒーの日/10月9日はウガンダ独立記念日
**1杯のコーヒーが、ウガンダの子どもたちの支援へ役立てられます**
⇒ 詳しくは、安房の高校生によるウガンダ支援HPをご覧ください。
新型コロナウイルス感染症の拡大により、心配の絶えない日々が続いています。27年にわたり、安房から交流を育んできたウガンダでは、ロックダウンがくり返されるとともに、医療体制の脆弱さから感染への危機が懸念され、子どもたちの教育や生活環境に大きな打撃を与えています。
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2010年8月4〜9日に、第9回日中韓青少年キャンプin安房が開かれ、
三国から160名の若者が集い、フィールドワークと熱い討論を交わしました。
⇒参照:Blog安房国再発見http://ameblo.jp/awabunka1/theme-10025918716.html
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このたび、韓国ハンギョレ新聞に紹介されました。
=⇒翻訳は黄色の吹き出しにカーソルを合わせてください。
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◆第27回安房地域母親大会
シンポジウム「女性の人権と平和を考える」
日時=2022年1月22日(土・祝)
会場=館山市コミュニティセンター第一集会室
参加費無料・資料代500円
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◆太平洋を渡った房総アワビ漁師と渡米前の資料調査&絵画展
日時=2022年1月21〜24日・28〜31日
会場=古民家ギャラリー&スペースMOMO
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◆第55回千葉県歴史教育研究集会
日時=2022年2月23日(水祝)
分科会⑥地域分科会に安房支部から2名報告
・関和美「鴨川町における戦中戦後の図書館・文化活動」
・佐野一成「館山発、地域と世界につながる戦争遺跡の調査・保存活用」
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◆旧安房南高校オンライン講演会 ⇒[@YouTube公開]
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◆ウガンダコーヒー月間の報告と御礼
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◆館山総合高校1年生97人が「観光の学び」
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◆青木繁「海の幸」記念館 見学再開
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◎“もの言わぬ証人” 保存へ運動〜戦跡
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◇館山の地下要塞、来月から一般公開に
房総半島の南端、海に囲まれた千葉県館山市。花畑が広がり観光客でにぎわう姿からは想像できない数々の戦跡が残っています。この一部が、来月から一般公開されることになりました。
市内の戦跡は、館山海軍航空隊の基地など約五十カ所。房総半島南部は第一級東京湾要塞と呼ばれた軍都でした。房総半島は沖縄の次の地上戦の標的とされ、日本も「最後の抵抗拠点は房総」と本土決戦に備えました。「帝都防衛」の最重要拠点だったのです。
公開される戦跡の一つ、赤山地下要塞は、総延長約2キロの地下ごうです。司令部や医療施設、燃料基地、武器庫などが置かれた全国的にも類のない要塞です。壁には「USA」の印。米軍が調査した跡といわれています。日本降伏直後の1945年9月3日、米占領軍は館山の海岸から日本に上陸したのです。
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◇6千人を案内
戦跡調査の第一人者、安房歴史教育者協議会の愛沢伸雄さんは、「軍事戦略をになった歴史的地域の館山を通じて、戦争や日本の歩みを知ることができる。とくに子どもたちに戦争を知ってほしい」といいます。
愛沢さんは10年以上にわたり戦跡を調査・研究し、六千人にのぼる見学者のガイドをつとめました。戦跡の保存を願う市民の声は高まり、95年には「戦後50年・平和の集い」実行委員会が結成され、昨年4月には「戦跡調査保存サークル」がつくられました。
昨年、戦跡を見学した中沢妙子さん(55)は、「戦争を肌で感じた。夫や友人にも話して、自分なりの平和行動をしたい。自衛隊はイラクに派兵されたが、たたかいはこれからだと思った」といいます。
日本共産党の神田守隆市議は、「私たちが十数年前から平和公園構想を示して論議し、ようやく実現したもので大変うれしい」といいます。「地下要塞の土地は登記簿面では多くが国有地だが、戦後、市に払い下げた事実を調査し、市にも確認させるなど議会で明らかにしてきました」
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◇今も残る弾丸
戦闘機の機銃掃射の整備をした射撃場では、山肌に今も弾丸が突き刺さります。別の地下ごうには、「作戦指揮所昭和十九年竣工」の額。天井の龍のレリーフには「金銀の彩色がしてあった」という証言もあります。終戦間近の本土決戦抵抗拠点の姿です。
当時の住民は、防諜(ぼうちょう=スパイ防止)体制のもとで汽車の窓から景色を見ることさえ禁止されました。愛沢さんはいいます。
「花栽培農家は『非国民』とされ、花畑はサツマイモ畑に変えられました。抵抗する農民が命がけで種を守りました。二度とこんな戦争をしてはいけない」
(千葉県・浅野宝子記者)
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