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【番組名】「BS歴史館」

【放送局】NHK-BSプレミアム

【放送予定日】2011年5月13日(金)21:00〜21:59

【再放送】2011年5月17日(火)24:00〜24:59

【再々放送】

・6月3日(金)午後9時00分〜9時58分

・6月8日(水)【7日深夜】 午前0時25分〜1時23分

http://www.nhk.or.jp/bs/t_history/

【テーマ】「それはミズーリ号から始まった〜日本の運命を分けた2日間〜」

「歴史とは現在と過去との対話である-」

かつてイギリスの著名な歴史家E.H.カ-はこう言いました。

4月から始まる新番組「BS歴史館」は、

この偉大なる言葉にインスピレーションを得た歴史番組です。

歴史という「過去」を学ぶことで、混迷した「現在」を生きるヒントを見つけ出します。



終戦記念日8月15日。

でも、世界にとっての終戦記念日はその20日あまり後の9月2日です。

それは、日本が敗戦を認めミズーリ号艦上にて降伏文書に調印した日。

実は、滞りなく終わったかと思われたこの調印式の直後、

日本は一歩間違えば国が無くなるかも知れない危うい運命にあったのです。

今回、3つの出来ごとにスポットを当て、その裏でどんなことが行われ、日本人が誇りを失わず、敗けても敗けない精神を貫いたのかを探ります。

未曾有の大震災に見舞われた日本。ガンバレ日本企画としてこの番組を視聴者に届けます。


@.証言でつづるミズーリ

世界にもテレビ中継されたミズーリ号艦上にて行われた降伏調印式。

そこに、日本の代表として立った11人の男達。彼らは、どんな想いでミズーリ号の上に立ったのか?屈辱の調印式を受け入れつつ、敗者の気骨を見せた男たちの心の内を検証する。


A.“三布告”撤回の物語

降伏調印式から6時間後、突如GHQから突きつけられた「三布告」。そこには「日本語の使用禁止」「日本円の禁止」の文字が。日本が消えてしまうかもしれなかった14時間を描きます。


B.本土で唯一、直接軍政された街

千葉県館山市は、日本の降伏後の4日間、アメリカ軍によって軍事直政をされたという。アメリカが統治する日本の姿はどういったものだったのか。

11年6月2日 14,150

赤山地下壕跡、10月から見学が有料に

人件費など経費まかなう

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館山市は、同市宮城にある戦争遺跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡(「通称、赤山地下壕」の見学を10月1日から憂慮化する。入場料は一般200円、小・中・高 高校生100円。市内の小中学校などが授業で使用する場合など、減免措置もとられる。

同市では、有料化により年間約260万円の収入を見込んでおる、専属の受け付け事務員の人件費や券売機のリース代、見学者が利用するヘルメットの使い捨てインナーキャップなどの経費をまかなう考え。

これに合わせ、受けつけ窓口となる豊津ホールの玄関を、土足でも上がれるように改修。壕内の見学コースには、停電など非常時の誘導灯も設置することにしている。

赤山地下壕跡は、全長約1.6キロと全国的に見みても大規模な防空壕。昭和19年以降に着工し、未完成のまま終戦を迎えたとみられている。壕内には発電所の跡などが残り、終戦間際に館山海軍航空隊の事務に携わったという体験談や、病院施設があったという証言もある。

同市を代表する戦争遺跡として史跡指定しており、約250メートルの見学コースを整備して、平成16年4月から一般公開。年間1万5000人が足を運び、市外からの学習旅行や観光ツアーなどの見学ポイントの一つにもなっている。

市では昨年度、乗用車用18台分と大型バス2台分の専用駐車場を整備。約120メートルのアプローチ道も整え「雨天時には、ぬかるんで足元が悪い」などと不評だった未舗装部分を解消するなどしている。

(房日新聞2011.6.24付)

11年6月24日 11,006

市部瀬の惨劇風化させず〜鋸南現地で祈念碑の除幕式

(房日新聞2011.5.20付)

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11年5月20日 8,971

「天を仰いで〜没後100年・青木繁」

館山市布良の小谷家に関する記事は第二回目に紹介されています。

(西日本新聞2011.4.5~8付)

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11年4月12日 8,936

青木繁の故郷・久留米の関東同窓会

「海の幸」誕生の地訪問(千葉県館山市)

(西日本新聞2011.10.13付)

久留米市内にある南筑、久留米商業、明善、久留米、三潴、久留米大付設各高校と久留米高専のOBで構成する関東圏の同窓会「東京高牟礼会」(馬場和人代表幹事)の有志24人は11日、久留米市出身の画家青木繁(1882〜1911)が国の重要文化財」海の幸」を制作した千葉県館山市を訪問した。

一行は「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」の池田恵美子さんから、青木の没後50年を記念して建立された「海の幸」の記念碑や、青木が描いた布良(めら)の海岸(阿由戸の浜)などの説明を受けた。

青木繁が「海の幸」制作時に約一年半滞在した小谷家住宅では、当主の小谷福哲氏や先代当主の栄氏から、滞在時の出来事などを聞いた。

参加者は「青木がこの海を見ながら名作を描いたと思うと感慨深い。館山市の皆さんから今も愛されている。訪れてよかった」と話していた。

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11年10月13日 8,881

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日本絵画史を代表する国の重要文化財「海の幸」などを描きながら、貧困の末に二十八歳で夭逝(ようせい)した画家青木繁の未公開スケッチや和歌、生活ぶりを伝えるメモなど六十点を、愛知県岡崎市の愛好家(62)が所蔵していたことが分かった。青木の作品の多くを所蔵する石橋美術館(福岡県久留米市)が確認した。今春開催する没後百年を回顧する特別展で一部が公開される。

約六十点の内訳は、下絵などが六割、和歌やメモなどが四割。いずれもB5判程度のスケッチブックの用紙に鉛筆などで記されていた。創作活動をしていた一九〇二〜一〇年と重なるが、「海の幸」を制作した〇四年に残したとみられるのが約三割で最も多いという。

「海の幸」誕生につながったとみられる漁師や魚を連想させるスケッチは約十点あり、制作の場となった千葉県館山市布良(めら)で主に描かれた。釣りざおや絵の具を買うための借用書のような書き込み、館山市のある房総半島の地図も確認された。

同じく重文で古事記を題材にした「わだつみのいろこの宮」(〇七年)につながった下絵も二点あった。栃木県芳賀町で描いたとみられるこの下絵の所在が確認されたのは、同美術館によると約四十年ぶりという。

このほか、東京美術学校に通った青木が習作に励んだことをうかがわせる上野動物園のツルを描いた作品も確認。時期は特定されていないが、「京」「大津」などを題材にした直筆の和歌五首もあった。青木は関西での活動の記録がなく、これらの和歌も存在を知られていなかった。青木の動きをたどる貴重な史料となりそうだ。

岡崎市の愛好家は東京の画廊関係者から約二十年前に購入して私蔵してきたが、今年が青木の没後百年にあたることから、同美術館の特別展への協力を申し出たという。

同美術館の森山秀子学芸課長は「青木の作品は油絵、スケッチを含め約四百点しか知られておらず、今回確認した六十点は青木の息づかいを感じさせる第一級の史料。裏表にさまざまなメモもあり、今後精査して作家活動を浮き彫りにしたい」と話している。

特別展は三月二十五日から五月十五日まで同美術館で開催。京都国立近代美術館(京都市=五月二十七日〜七月十日)、ブリヂストン美術館(東京都=七月十七日〜九月四日)でも開催される。


(東京新聞2011.2.16付)

11年2月16日 8,099

(千葉日報2011.11.19)

里見氏城跡を国史跡指定

館山稲村、南房総岡本、県内27件に

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国の文化審議会(西原鈴子会長)は18日、館山市稲の稲村城跡と、南房総市富浦町の岡本城跡をセットで「里見氏城跡」として国史跡に指定するよう中川正春文部科学大臣に答申した。いずれも房総里見氏が戦国時代に築いた居城跡で、当時の地形を良好に残し、房総半島における中世山城の変遷や、当時の地域社会、政治情勢を知る上で重要と評価された。城跡は現在、ほとんどが山林で個人所有。今後、地元市が公有化を進め、保存・活用方法、整備方針などを検討する。県内の国指定史跡は27件となる。

房総里見氏は戦国時代から江戸時代初頭にかけて10代、約170年にわたって房総半島南部を拠点とした戦国大名。初代の里見義実(よしざね)が15世紀後半に白浜城(現在の南房総市)を構えて以降、南房地域で数回にわたって本城を移している。

稲村城は現在の館山市内陸部の丘陵に築城され、3代義通(よしみち)が16世紀前半に居城とした。県教委文化財課によると、城跡は東西、南北ともに約500メートルにおよび、面積約1万8千平方メートル。中心部「主郭」の東、南側には高さ約3メートルの土塁跡が計約100メートル残る。敵からの侵攻を防ぐため丘陵斜面を削った切岸(きりぎし)、尾根を切断した切通しの跡もある。

岡本城は、現在の南房総市の東京湾を望む丘陵に16世紀後半、8代義頼(よしより)が築いた。指定史跡は東西600メートル、南北300メートルで、面積は約7万6千平方メートル「主郭」周辺には2段にわたって計約700メートルの切岸跡が見つかっている。主郭北西側の「三の郭」は、汐入川を通じて海につながり、船が発着する港の機能を備えていたとされる。

同課は「稲村城、岡本城ともに、当時の房総地域では突出して大きな規模で里見氏の勢力の大きさを示している」としている。



地元観光資源と期待

史跡の本格整備目指す

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戦国武将の里見氏の居城だった稲村城(館山市稲)と岡本城(南房総市富浦町豊岡)=市指定史跡=の城跡が一躍、国の史跡指定を受けることになった。国指定にふさわしい史跡整備に向けた取り組みが始まる。

山城の稲村城は国府が置かれた府中を見下ろし、麓に交通路(現国道128号)が東西に延びる。白浜城から北へ勢力を伸ばした里見氏の、安房支配の戦略がうかがえる。4代義豊の1534(天文3)年、天文の内乱で傍流の義堯が勝利し居城が移った。前期里見氏から後期里見氏へ、転換点の舞台が稲村城だ。

国指定に、15年間にわたり保存運動を続けるNPO安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さん(60)は「里見の歴史を見直し、地域の歴史文化を地域みんなで大切にするきっかけになれば」と期待を寄せる。

稲村城跡は1983年の県教委の調査で成果が少なかったことや、土地所有者が複雑で史跡指定を果たせなかったという。一方で91年、後背地に県の工業団地計画が浮上。市は稲村城跡を通る進入路を計画した。愛沢さんらは96年に保存会を結成し、保護を訴えて最終的に1万超の署名を集め、市議会で請願が採択。市道路計画は変更となり、市も史跡保護にかじを切った。

国指定となったが、土地買収の同意はまだ65%。年に数回下草が刈られるだけで本格整備は当分先の話だが、愛沢さんは「長い取り組みを続けたい。市も文化遺産を生かすまちづくりをしてほしい」と単体でなく、安房・上総地域に20ヵ所以上点在する“里見城址群”の史跡化を目指す。

岡本城跡は富浦湾に面し、里見水軍の拠点だった。戦国末期、8代義頼が、上総を基盤とした弟の梅王丸の内乱を治めるなど、ここでも里見の歴史で重要局面を迎えた。

里見の城跡と知られ、74年に富浦町指定(現南房総市指定)となり、頂上部に碑が建つ「里見公園」として親しまれる。国指定に石井裕市長は「地域の重要な文化財として保存管理し、観光資源として地域振興を図りながら、後世に継承したい」と歓迎した。山のほとんどがビワ園。今後整備計画を立てていく。

11年11月19日 7,199

里見氏城跡「稲村」と「岡本」を国史跡指定へ

文化審が文科相に答申

中世山城の変遷知る貴重な遺産

(房日新聞2011.11.19付)

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11年11月19日 7,063

青木繁没後100年回顧展

「海の幸」に豊かな解釈

(日本経済新聞2011.4.11夕刊文化)

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日本近代を代表する洋画家、青木繁の没後100年を機に39年ぶりの回顧展が開かれている。代表作「海の幸」をめぐる斬新な解釈が現れるなど「早世の転載画家」の新たな側面に光が当たる。

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国の重要文化財に指定されている青木の代表作「海の幸」。日焼けした漁師たちが大魚をぶら下げ、誇らしげに行進する。この絵がしばしば「祝祭的」と評される理由をブリヂストン美術館の貝塚健学芸員は「祝祭そのものを描いたから」と見る。

2列目の男たち、水平に近い角度で担ぐ銛―。「祭りの御輿みたいだ」と感じた貝塚学芸員は展覧会の調査を進める中で、安房郡の布良)現千葉県館山市(にある安房神社の例祭を知った。

漁業で栄えた村が最も活気づく例祭の中心的な行事が8月10日の「お浜出」。日暮れに鳳凰を頂いた輿を浜辺に持ち出すことから「夕日の祭典」と呼ばれた。「青木はお浜出を見たのではないか」と貝塚学芸員は直感する。

1904年7月4日に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業した青木はその11日後、恋人の福田たね、親友の坂本繁二郎らを伴って写生旅行に出かけた。約1ヶ月半の布良滞在時に「海の幸」を描いたことはよく知られている。

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11年4月11日 6,937

(産経新聞2011.11.19付)

里見氏の城跡、国史跡指定へ、稲村城跡と岡本城跡

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11年11月19日 6,868

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0036 千葉県館山市館山1016-1さらしな館

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