館山市の館山地区公民館(河野宏明館長)で、2月7日午後1時半から「戦争を語る会」が開催される。一般の人が対象で参加者を募っている。参加費は100円(資料代)。
同館が、講師を招いて開くもので、昨年から始まり、今回で2回目。講師は2人おり、1人は松戸市在住の版画家、秋山巌氏で、もう1人はNPO安房文化遺産フォーラムの池田恵美子氏。
秋山氏は、棟方志功らに師事し、種田山頭火の詩などをテーマに作品をつくる。「館山の空を飛んだ落下傘兵から」をテーマに語る。
池田氏は、同フォーラムの活動で館山の戦争遺跡などを調査している。「館山の戦跡をみつめて」をテーマに、これまでの調査結果などをわかりやすく話す。
申し込みは、月水金曜日に館山地区公民館(0470-23-2482)へ。
青木繁「海の幸」モチーフは安房神社と布良崎神社の神輿説
館山 フォーラムで2日が力説
(房日2011.9.3付)
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近代洋画家のひとり、青木繁の没後100年を記念した「青木繁《海の幸》フォーラムが、このほど館山市の南総文化ホールで開かれ、市民らが講演や、討論に聞き入った。
有志でつくる青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会が主催した。
講演では、ブリヂストン美術館学芸員の貝塚健氏が、「布良という聖地〜《海の幸》が生まれた場所」と題し、作品の構図や、なぜ布良に行ったのかなどを解説。さらに青木は「海の幸」「山の幸」を制作するつもりだったこと、絵はデッサンして東京で仕上げられたことなどを語った。
海の幸のモチーフについては、青木が安房神社の古事来歴に人間の根源的な生命観を感じていたこと、明治37年夏に布良に滞在していた青木が、安房神社の例祭を見逃すはずがないこと、神輿の担ぎ手がつくる2列縦隊は、青木の脳裏に強烈に焼きついたであろうことなどから、安房神社神輿説を唱えた。
貝塚氏のあとに登壇したNPO法人青木繁「海の幸」会の吉岡友次郎氏が、青木が滞在した布良の小谷家を、当時の姿に復元し保存していくことの重要性を語り、保存運動への参加を呼びかけた。
このあとの井戸端会議では、布良崎神社神輿世話人の島田吉廣氏が、海の幸のモチーフについて、下絵の状況などから布良崎神社神輿説を力説するなど熱の入った討論が行われた。
夕暮れに輝く裸の漁師たちの中で振り向く美女の顔。日本洋画史上の最高傑作といわれる青木繁「海の幸」は一九〇四年、千葉県館山市布良(めら)の網元宅で制作された。この家はほぼ当時のまま現存するが、存続の危機にある。没後百年の今年、抜本的な保存策を訴える声が高まっている。
(後略)
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(東京新聞2011.2.15付)
保険推進員が研修会
身近な歴史や文化学ぶ
(房日2011.1.14付)
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館山市保健推進協議会はこのほど、市民の健康づくりに関する身近な相談相手となる保険推進員を対象に、地域再発見をテーマにした研修会を、同市コミュニティセンターで開いた。
「館山の自然・歴史・文化について知り、より地域に溶け込んだ活動につなげる」ことが狙い。
第9期推進員145人が参加。NPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんによる「まだまだある!おらがまち再発見」と題した講演に耳を傾けた。
「東京から遠い静かな土地と思っていたが、戦争の軍事拠点だったり、転地療養の地であったりと、歴史ある土地だったのですね」「まさに館山の再発見をした気分。知人に話したり、案内したりの楽しみが増えました」と推進員たち。
事務局の市健康課では「保険推進員の任期は3年で、来年4月からは第10期へとバトンタッチされる。今後も推進員が楽しく活動できるような内容で研修会を企画していきたい」と話している。
被災地支援続ける亀田の小野沢医師 千倉で講演
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「震災対応、自治体間で差」
大地震への備えを提言
東日本大震災の被災地、宮城県石巻市で医療支援活動を続けている亀田総合病院の小野沢滋・地域医療支援部長が10日、南房総市・千倉公民館で「被災地からの報告〜行政、市民が備えるべきこと」と題して講演した。
小野沢氏は、役所特有の〝前例踏襲主義〟や〝縦割り意識〟の程度の度合いにより、被災自治体間で復旧、復興の取り組みにかなりの差が出ていると指摘。大災害発生時の行政対応のあり方について「意思決定の速さと柔軟さが勝負になる」と提言した。
小野沢氏は千葉県の派遣医師として、3月末に宮城県入り。石巻市、南三陸町、気仙沼市などの医療状況の調査を行った後、在宅患者の対応が遅れていた石巻市で活動を続けている。
講演では、避難所の運営や被災者への食事の提供状況、全国から寄せられる支援物資の取り扱いなどについて、市当局が杓子定規な〝平時の対応〟に固執することで事態がなかなか改善していかない数々のエピソードを紹介。
市町レベルの自治体が備えておくべき点として▽災害救助法に精通する▽ボランティアを有効活用する仕組みをつくる▽権限委譲も含め、災害発生時の意思決定の仕組みの検討▽避難所運営のマニュアル作成▽物流を円滑にする仕組みづくり——を挙げた。
一般市民向けには、長期間にわたって通信、物流がとだえる場合を考えて「家族の集合場所を決めておくこと」「(持病のある人は)最低2週間分の薬の予備を持つこと」などの点をアドバイスした。
また、医療福祉関係者の課題は、大地震と津波被害後に「残った要介護者を7日以内に施設・域外に」収容・搬出することだと指摘。いざという時の態勢を整えておく重要性を強調した。
小野沢氏は、現地で聞いた被災体験で特徴的なものとして「津波から逃げ延びた多くの人が『途中で物を取りに家に帰った人は皆死んでいる』と話す。一度決めたら、迷わずに逃げることが大切だ」とも語った。
講演は、市内の市民グループ「房州舫(もやい)」が開催。10月1日にも「元禄地震と津波」をテーマに青木嘉男・前南房総市教育長の講演を企画している。千倉公民館で午後2時から4時まで。問い合わせは同グループ事務局(0470—44—1780)へ。
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(房日新聞2011.9.13付)
安房歴史文化研究会、天野努氏が過去の被害語る
地震・津波の講座にどっと
安房歴史文化研究会の第11回公開講座が28日午後、館山市コミュニティセンターで開かれ、天野努会長(元安房博物館館長)が「歴史からみた地震と津波—安房地域を中心にして」と題して講演した。
天野会長は7世紀から関東大震災に至までの主な大地震・津波被害の模様を、当時の史書、古文書などの史料を示しながら説明。「自分たちの住む地域の自然災害を考える時、歴史という過去が非常に大切。他人任せではなく、住民が行政や専門家とも協力し、地域全体で防災対策を考えなければいけない」と呼びかけた。
当初定員50人とした会場には、約100人が来場。東日本大震災の発生を受け、地震・津波に対する地域住民の関心の高さが浮き彫りになった。
天野氏は869年に東北地方を大津波が襲った「貞観地震」について、当時の被害の参上を記した史書『日本三代実録』の内容が現在の『仙台市史』にも引用されていることを紹介。「今回の大津波は想定外ではない。文献や地層の研究で、過去にこのような地震があったということは早くから分かっていた」と指摘した。
また、房州に大きな津波被害をもたらした「元禄地震」(1903年)については、当時江戸幕府の中枢にいた柳沢吉保の日記『楽只堂年録』に記録された詳細な被害状況を示すとともに、安房の各地に残っている古文書、碑文などを解説。
▽鴨川市前原に慶長の大津波を教訓にした「避難丘」が築かれ、元禄地震の際にこの丘に逃げ込んだ人は助かったという言い伝えがあること▽南房総市和田地区の威徳院には、標高約16メートル地点にまで津波が押し寄せたことを示す碑が残っていること-など、興味深い歴史の痕跡も数々紹介した。
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銀座商店街を巡るウォーク
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NPO安房文化遺産フォーラムは、5月10日午前9時50分から館山市北条の銀座商店街を巡るウォーキング教室「歩いてみよう館山の街を」(館山商店会連合会など後援)を開催する。参加者を募っている。参加費は150円(メンチカツ代)。
300年前の元禄地震の大津波から人を救ったサイカチの木を館山の街活性化に生かすことを目的に活動する「サイカチの木を守る会」に協力し、同NPOが開催して今回で2回目となる。
コースは1.5キロで、松田屋〜ピース製菓〜房洋堂〜秋山陶苑〜丸太鮮魚店〜加藤菓子店〜幸田旅館〜相川肉屋〜銀座商店街振興組合ビル〜秋山呉服店〜セットアップ〜サイカチの木。
サイカチの木の前では、語り部の礒部清子さんの語りを聞く。
集合は、JR館山駅東口で、当日受付となる。