




里見ガイドとめぐる南総里見八犬伝ロマン紀行
〜館山市観光まちづくり研修会・モニターツアー〜
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安房国を治めた実在の戦国大名里見氏をモデルに、曲亭馬琴が28年の歳月をかけて書き上げた日本最長の小説『南総里見八犬伝』。馬琴は生涯一度も安房を訪れなかったというが、なぜか不思議なほど、物語の舞台と思われるゆかりの場所が安房には多い。南房総市には伏姫籠穴や犬掛の里があり、館山城跡には全国唯一の八犬伝博物館(館山市立博物館分館)もある。世界に誇る『八犬伝』のふるさと・安房の魅力を再発見してみよう。
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【日時】
①2007年11月15日(木)
②2007年11月21日(水)
③2007年11月28日(水)
【集合】10:15館山市体験交流センター(JR館山駅西口)
【行程】
10:30 JR館山駅西口 → 城山公園・八犬伝博物館
→ 道の駅・鄙の里 (※ 自由昼食・弁当持参も可)
→ 犬掛の里 → 伏姫籠穴 → JR館山駅西口 16:30
※ 健脚コースですので、歩きやすい服装でご参加ください。
【参加費】100円(保険料・マップ代)
【主催】館山市観光プロモーション協議会
【共催】NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム
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【八犬伝のあらすじ】
結城の戦いに敗れた里見義実(よしざね)は安房へ落ちのびました。やがて滝田城の城主になりましたが、隣国の館山城主安西景連(かげつら)の攻撃にあっていました。窮地におちいった義実は愛犬八房(やつふさ)に「景連の首をとってきたら娘伏姫(ふせひめ)を嫁にやろう」と戯れの約束をします。八房の働きによって勝利すると、約束どおり、伏姫と八房は富山(とやま)の洞穴にこもって暮らし始めました。
数年後、姫の許婚であった金碗大輔(かなまりだいすけ)が姫を取り戻すために富山へやってきて、八房を撃ち殺しますが、伏姫にも傷を負わせてしまします。八房の気を受けて懐妊していた伏姫は、身の潔白を証明するため、大輔と父義実の目前で自害しました。そのとき、伏姫が幼いころ役行者(えんのきょうじゃ)からお守りとして授かっていた護身の数珠から、8つの輝く珠が天空に飛び散りました。
大輔は出家してゝ大法師(ちゅだいほうし)と名乗り、8つの霊玉を捜し求める旅に出ます。そして、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の珠をもつ8人の若者と出会います。8人は八犬士として安房へ集結して活躍し、里見家の危機を救うという物語です。





画家の愛した漁村の風景をたずねて
青木繁《海の幸》と中村彝《海辺の村(白壁の家)》
自然体験活動〜トム・ソーヤースクール企画
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房総の海に惹かれた画家は館山を訪れ、素晴らしい作品を描いている。明治画壇に大きな足跡を残した2人の画家の目線から、きらきら輝く大海原を眺め、太平洋に開かれた小さな漁村を歩いてみよう。
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ちばデスティネーション・キャンペーン特別企画
【期間】2007年2〜4月毎週日曜日10:00〜12:00
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■城山公園(館山城跡)無料ガイド
(集合)城山公園駐車場広場のシンボルタワー前
「館山」の地名の由来になっている城山は、戦国大名里見氏の居城跡として知られています。実際に里見氏がここに住んだのは、天正18(1590)年から25年ほどの間ですが、山麓からは、それ以前の室町時代のものである五輪塔や陶磁器も見つかっています。
江戸時代に入ってすぐに、里見忠義が伯耆国(鳥取県倉吉市)に移されると、館山藩は廃藩となり、館山城も取り壊されました。その後江戸時代の末に、旗本だった稲葉氏が新たに館山藩をたてて、この地に陣屋を築きます。第二次世界大戦中には高射砲陣地となったため、山頂が7m削られ周辺も破壊されましたが、近年、城山公園として整備されています。
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■赤山地下壕無料ガイド
(集合)赤山地下壕受付・豊津ホール
太平洋に突き出て、東京湾の入口にあたる房総半島南部は、東京湾要塞地帯と呼ばれ、海軍の重要な施設がたくさん造られました。戦争末期には本土決戦に備え、7万人の兵隊が配備され、終戦直後には米占領軍3,500名が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれた地です。
(注1)年末年始等の休壕日にあたる場合や、当方の都合により変更の場合もあります。
(注2)個人やグループ対象です。大型団体は、事前に有料ガイドをお申し込み下さい。
(注3)ガイドの要不要を問わず、10名以上の団体は事前に「入壕届」が必要です。









