JR館山駅から市立図書館に向かう路地に、「サイカチ」と呼ばれる老木があります。せまい通りを占領するじゃまな存在と見られがちですが、なぜ伐らずに残されてきたのでしょうか。サイカチは「皀角子」「皀英」と書かれ、発音が「再勝」に通ずるため、縁起の良い木として大切にされてきました。また幹や枝に鋭いトゲがあるので、門や柵の周囲に備え、転じて鬼門除けの木とされたといいます。もっとも重要なことは、いざというときに葉が食用、実が洗剤、さらにはトゲが解毒剤になり、日々の生活のなかにとても役立っていたことです。元禄地震では、この木によじ登って津波から助かったという話も語り継がれています。
樹齢1,000年を超えるサイカチは、先人が残してくれた「たてやま遺産」です。私たちは、この大切な宝ものを次代に伝えるため、「サイカチの木を守る会」を発足することになりました。つきましては、多くの皆さまにサイカチを知っていただきたく、「見学会」と「語る会」を企画いたしました。どうぞお気軽にご参加ください。
⇒⇒※印刷用の案内チラシpdfはコチラ。
■サイカチの木 見学会
日時=平成23年3月13日(日)10:00〜12:00
場所=館山市北条1754番地先
参加費=無料
・サイカチの樹勢調査、洞内見学、長寿要因の説明
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■サイカチの木を語る会
日時=平成23年4月9(土)13:30〜16:30
場所=菜の花ホール(館山市北条1735)
参加費=無料
・「サイカチの木を守る会」について
・サイカチの樹勢について、詩・朗読・参加者発言等
・サイカチの木の保存活用計画について
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■主催=サイカチの木を守る会
■問合先=齊藤陽子0470-27-5867
※どちらも館山駅から徒歩5分です。お車の場合は、図書館裏の中央公園駐車場をご利用ください。
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開館式
-日時=2016年5月12日(木)午後4時
-場所=金熙秀記念_秀林アートセンター
開館特別展=河正雄コレクション
-舞踊家崔承喜写真展LEAP&EXTENSION
*連絡先=韓国ソウル特別市洪陵路118秀林文化財団事務局
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第21回安房地域母親大会
映画『疎開した40万冊の図書』&金高謙二監督トーク
【日時】2015年10月10日11日(土日)
【会場】館山市コミュニティセンター第一集会室
【スケジュール】
・13:30〜15:20上映会『疎開した40万冊の図書』
・15:30〜16:20金高謙二監督トーク ‥‥館山海員学校(現館山海上技術学校)卒業‥
【同時開催】
・パネル展示&解説・ワークショップ
・親子ピースカフェ
【主催】第21回安房地域母親大会実行委員会
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第22回安房地域母親大会=冬の部=
わたしにできること
【日時】2016年12月4日(土)13:00〜16:20
【会場】館山市コミュニティセンター第一集会室
【参加費】無料
【第一部】映画上映『日本の青空3=さよなら原発〜渡されたバトン」
【第二部】
・トーク①「鋸南町の住民力〜住みやすい町のために、私が声を上げた理由」
・…汚染土埋立反対協議会
・…鋸南町の環境と子供を守る会
・トーク②「安房に住むわたしにできること」
【主催】第22回安房地域母親大会実行委員会
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証言者のつどい(戦跡学習会:3回)
①6月28日(日)15:30〜 (A会員総会終了後)=館山地区公民館
1930年生まれ、戦時中に館山市船形在住だった西村榮雄(よしお)氏は、旧制安房中学に在学中、軍事施設作りに関わった勤労動員の日記を保持している。館山市那古地区の川崎空襲跡の惨状を目撃するなど、鮮明な記憶を証言する。 父の西村迪雄(みちお)(陸軍少将・鎮海湾要塞司令官)は陸軍士官学校15期で、同じ船形に在住していた同期の多田駿(はやお)(陸軍大将・反東條派・1941年予備役)と親交があった。なお、赤門病院の芳名録に参謀総長梅津美治郎(よしじろう)の署名があり、終戦直前の7月23日に館山を訪れていることがわかった。その後、ミズーリ号の降伏文書に調印することになった梅津が、なぜ来館したのか謎である。彼もまた陸士15期の同期であった。
②7月 5日(日)13:00〜 (赤山ガイドサービス終了後) =館山地区公民館
1927年生まれで赤山の前で生まれ育った高橋博夫氏(元館山市教育長)は、館山海軍航空隊の建設と拡張工事に伴い自宅を2度転居させられている。赤山地下壕の建設は日米開戦前から始まっていたと証言。1944年7月旧制安房中学5年時に船橋の日本建鉄に勤労動員。1945年3月卒業、教員不足のため西岬村東尋常小学校の代用教員に勤務。降伏調印の翌日、外務省館山終戦連絡委員会の担当者とともに自宅から米占領軍の上陸を目撃。4日間の「直接軍政」のとき、自宅横に米軍の衛兵所と機関砲が置かれたことで、米兵との交流があったとのこと。戦後は、子どもたちに教科書の黒塗りを指導しただけでなく、小学校に直接米兵を連れていき、地理や英語の模擬授業をおこなったという貴重な体験をもつ。
青山学院水泳合宿所は、1926年に赤山の麓に開設され、生徒たちは夏の時期に柏崎の浜で水泳訓練をしていた。しかし赤山地下壕の建設に伴って1941年12月に海軍より譲渡の話が出され、すぐに閉鎖となった。青山学院高校の佐藤隆一教諭が、学校側の記録や写真から分かった調査を報告する。
③7月21日(火)13:00〜 (終了後にNPO運営委員会) =館山地区公民館
房総南端の布良(館山市)は幕末の一時期に砲台が置かれ、明治には海軍布良望楼(1894年)が建設された軍事的な要衝である。マグロ漁で栄えた漁村で海難事故が絶えなかったため、帝国水難救助会布良救難所(1903年)が開設され、救難所の看守長は村議の小谷喜録が務め、布良望楼とともに沿岸警備の役割を担っていた。日露戦争開戦となった1904年、画家の青木繁は友人3人と布良を訪れ、小谷宅に40日逗留し、重要文化財『海の幸』を描いている。隣接して館山海軍砲術学校(1941年)が開かれ、戦争末期には本土決戦体制として布良陣地が構築された。小谷喜録の長男・希六は徴用漁船「海幸丸」で就漁中に機雷にあたり亡くなっている。戦争と関わりの深かった漁村の状況について、1928年生まれの船大工・豊崎栄吉氏ら布良の人びとと語り合う。
シンポジウム「東京湾まるごと博物館〜戦跡と文化財を活かした館山と追浜のまちづくり」
【日時】平成25年7月23日(火)10:00〜12:00
【場所】館山市コミュニティセンター第一集会室
【参加費】無料、※午後の見学バスツアーは1,500円(要予約)
【主催】NPO法人アクションおっぱま、NPO法人安房文化遺産フォーラム
【後援】横須賀市教育委員会、館山市教育委員会
【内容】
・報告1=横須賀追浜の現況と課題
・報告2=館山の実践と今後の展開
・討議=戦跡等を活かしたまちづくりに向けての地域連携
・コメンテーター=岡田昌彰(近畿大学教授)
【現地見学バスツアー】要予約…⇒詳細はコチラ
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