◎“もの言わぬ証人” 保存へ運動〜戦跡
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◇館山の地下要塞、来月から一般公開に
房総半島の南端、海に囲まれた千葉県館山市。花畑が広がり観光客でにぎわう姿からは想像できない数々の戦跡が残っています。この一部が、来月から一般公開されることになりました。
市内の戦跡は、館山海軍航空隊の基地など約五十カ所。房総半島南部は第一級東京湾要塞と呼ばれた軍都でした。房総半島は沖縄の次の地上戦の標的とされ、日本も「最後の抵抗拠点は房総」と本土決戦に備えました。「帝都防衛」の最重要拠点だったのです。
公開される戦跡の一つ、赤山地下要塞は、総延長約2キロの地下ごうです。司令部や医療施設、燃料基地、武器庫などが置かれた全国的にも類のない要塞です。壁には「USA」の印。米軍が調査した跡といわれています。日本降伏直後の1945年9月3日、米占領軍は館山の海岸から日本に上陸したのです。
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◇6千人を案内
戦跡調査の第一人者、安房歴史教育者協議会の愛沢伸雄さんは、「軍事戦略をになった歴史的地域の館山を通じて、戦争や日本の歩みを知ることができる。とくに子どもたちに戦争を知ってほしい」といいます。
愛沢さんは10年以上にわたり戦跡を調査・研究し、六千人にのぼる見学者のガイドをつとめました。戦跡の保存を願う市民の声は高まり、95年には「戦後50年・平和の集い」実行委員会が結成され、昨年4月には「戦跡調査保存サークル」がつくられました。
昨年、戦跡を見学した中沢妙子さん(55)は、「戦争を肌で感じた。夫や友人にも話して、自分なりの平和行動をしたい。自衛隊はイラクに派兵されたが、たたかいはこれからだと思った」といいます。
日本共産党の神田守隆市議は、「私たちが十数年前から平和公園構想を示して論議し、ようやく実現したもので大変うれしい」といいます。「地下要塞の土地は登記簿面では多くが国有地だが、戦後、市に払い下げた事実を調査し、市にも確認させるなど議会で明らかにしてきました」
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◇今も残る弾丸
戦闘機の機銃掃射の整備をした射撃場では、山肌に今も弾丸が突き刺さります。別の地下ごうには、「作戦指揮所昭和十九年竣工」の額。天井の龍のレリーフには「金銀の彩色がしてあった」という証言もあります。終戦間近の本土決戦抵抗拠点の姿です。
当時の住民は、防諜(ぼうちょう=スパイ防止)体制のもとで汽車の窓から景色を見ることさえ禁止されました。愛沢さんはいいます。
「花栽培農家は『非国民』とされ、花畑はサツマイモ畑に変えられました。抵抗する農民が命がけで種を守りました。二度とこんな戦争をしてはいけない」
(千葉県・浅野宝子記者)
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【平和について考える】
「NPOで『いま』あるものを活かす地域づくりを」
NPO法人 南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長 愛沢伸雄
2004/12/08発売号 (12月号)
◎新たな戦跡つくらない
…全国シンポ 願いをアピールに
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20日から千葉県館山市で開かれている第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会(主催・同千葉県実行委員会、戦争遺跡保存全国ネットワーク)は22日、全体集会を開き大会アピールを採択し閉会しました。
アピールでは、国や地方自治体によって史跡・文化財(指定文化財・登録文化財)となった戦争遺跡は九十六件に増加するなど、「戦争遺跡が21世紀に継承すべき国民の財産として広く認知された」とし、さらに国の追加調査や、自治体独自に史跡・文化財への指定を積極的に行うことを要望しています。
イラク戦争や憲法九条「改正」が主張される日本の現状に「強い危ぐを覚える」と表明。新たな戦争遺跡をつくらないことを共通の願いとして、「戦争遺跡保存運動への支援と参加」を呼びかけています。
シンポジウムでは「戦争遺跡保存運動の現状と課題」「調査方法と保存整備の技術」「平和博物館と次世代への継承」の分科会が開かれました。
市民運動による戦跡の調査・保存活動が行政を動かした地元・館山市の例など、自治体との共同で平和学習の拠点づくりを進める例が報告された一方、都市化や乱開発による戦跡破壊の進行や、国の「三位一体改革」で地方自治体の文化財保護予算の削減を危ぐする声も寄せられました。
全体集会では、作家の早乙女勝元氏が「平和の語り部としての戦争遺跡」と題して記念講演。「過去の戦争を弱者の立場で語り継ぐことが戦争を阻止することにつながる」と語りました。
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◎千葉館山、戦跡保存で全国シンポ
…房総の特攻基地跡など見学
第八回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会が二十日、千葉県で始まりました。初日は戦争遺跡を見学するフィールドワークが行われ、関東や沖縄、韓国などから百人以上が参加。茂原市の掩体壕(えんたいごう)群や、夷隅町、大原町に残る特攻基地跡などを見学しました。
……
夷隅町に残る特攻機「桜花」基地跡は、草深い山奥に暗い口を開けていました。「桜花」は敵艦隊に体当たりするグライダー型「人間爆弾」で、本土決戦を想定していました。同基地跡は勤労奉仕でかりだされた住民が掘ったという証言もあります。
参加者はツルハシの跡が残る壁面を触れ、「大本営は逃げる場所、特攻基地は死ぬ場所だ」と話していました。
◎戦争遺跡保存全国シンポ開催
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戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会(戦争遺跡保存全国ネットワーク主催)が8月21日、館山市内のホテルで始まった。8回目の今大会のテーマは「南房総に戦争の傷跡を見て、戦跡の保存と活用を考える」。全体集会の会場には300人以上が集まった。
同ネットワーク代表の十菱駿武さんが、この1年間の戦争遺跡をめぐる全国の情勢と課題を中心に基調報告。「戦争遺跡の保存活用については、地域のまちづくり計画と組み合わせて民間団体が提案し、『平和の語り部』となるようにすべきだ」などと述べた。
地域報告では、館山市教委の杉江敬さんが市内47カ所の戦争遺跡について説明。保存と活用にあたっては、各個人の価値観の相違、歴史遺産としての評価の難しさ、保存のための制度やコスト負担などの課題に取り組む必要があると指摘した。
大会に先だって、約100人が館山海軍航空隊赤山地下壕跡を見学した。22日は分科会と作家早乙女勝元さんの記念講演がある。
◎戦争遺跡の現状考える 館山で「全国シンポ」
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戦争遺跡の現状について考える「戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会」(戦争遺跡保存全国ネットワーク主催)が8月21、22日、館山市八幡のたてやま夕日海岸ホテルで開かれる。遺跡研究者ら約400人が参加して意見交換をする他、館山市内の戦争遺跡の見学会もある。シンポは97年の長野大会を皮切りにスタートし、今回が8回目。
館山市には館山海軍航空隊基地赤山地下壕(ごう)があり、第二次世界大戦末期には、空襲を逃れるため、航空隊事務室や病院、発電設備などが置かれた。
21日は午前9時からの同地下壕の見学会に続き、午後1時から開会式と全体集会がある。午後4時からの分科会では「戦争遺跡保存運動の現状と課題」や「平和博物館と次世代への継承」などについて話し合う。22日は東京大空襲・戦災資料センター館長の早乙女勝元氏の記念講演「平和の語り部としての戦争遺跡」などがある。
大会参加費(2日間)1800円、地下壕見学会の申し込みは終了。問い合わせはNPO「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」(電話0470・24・0224)へ。
●戦争遺跡保存館山でシンポ
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「戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会」(戦争遺跡保存全国ネットワークなど主催)が8月21、22の両日、館山市のたてやま夕日海岸ホテルを主会場に開かれる。
全国各地から約400人が参加予定。21日は、戦争遺跡保存全国ネットワーク代表の十菱駿武氏が「戦跡の現状と課題」と題して基調報告を、館山市教委生涯学習課の杉江敬氏が「館山市における戦争遺跡の保存と活用 過去・現在・未来」と題した報告を行う。
「戦争遺跡保存運動の現状と課題」「調査方法と保存整備の技術」「平和博物館と次世代への継承」の三つの分科会も行われる。
22日は、「南房総平和活動シンポジウム〜証言者の集い」の後、作家で東京大空襲・戦災資料センター館長を務める早乙女勝元氏が「平和の語り部としての戦争遺跡」と題して記念講演する。参加費は1,800円。当日持参でも可。戦争遺跡の現地見学会も予定されている。問い合わせは戦争遺跡保存全国ネットワーク事務局の島村晋次さん(080・1048・5348)へ。
◎松代の地下壕「工夫必要」 戦争遺跡の保存と継承大会
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近代の戦争遺跡の保存や継承を考える全国大会(戦争遺跡保存全国ネットワーク主催)が8月21日、2日間の日程で千葉県館山市で始まった。各地の地下壕や旧軍事施設の保存活動や調査の報告がされ、長野県内では、市民有志でつくる「松代大本営の保存をすすめる会」が取り組む長野市松代町の皆神山地下壕の内部調査について報告があった。
全国大会は、戦争と平和を学ぶ拠点として戦跡の保存に取り組む全国の市民団体や研究者、自治体職員が集まる大会で、8回目。21日は約350人が集まった。
松代大本営関係では、保存をすすめる会の依頼で2002年から皆神山地下壕の調査に当たっている全国ネットワーク代表の十菱駿武・山梨学院大教授(考古学)が報告した。地下壕の中で食料庫になる計画だった皆神山は、昭和四十年代の群発地震で崩落が進行中。内部の状況や構造を発表した十菱代表は「崩落の危険があり一般公開は難しいが、封鎖するのではなく今後の調査のため自治体と協力し保存を工夫するべきだ」と話した。
このほか、市町村による戦跡の公開や史跡指定の経緯が報告され、開発や宅地化、崩落などで保存が難しくなった事例も紹介された。
◎女性の目から見た平和/千葉・館山
...行動する人の輪広げよう/戦争遺跡保存全国シンポ分科会
南房総で活躍する3氏が報告
20日から千葉県館山市で開かれている第八回戦争遺跡保存全国シンポジウムで21日、特別分科会「南房総平和活動シンポジウム」が開かれ、南房総地域で平和の問題で活躍する女性3氏が、自らの体験や活動を報告・交流しました。
報告したのは、環境・平和ジャーナリストのきくちゆみさん(鴨川市在住)、アイヌ布絵作家の宇梶静江さん(鴨川市在住)、婦人保護施設「かにた婦人の村」施設長の天羽道子さん(館山市在住)。
アメリカの「対テロ戦争」を食い止めようと日本とアメリカで活動するきくちさんは、米軍のアフガン爆撃のビデオを映写しながら「ブッシュ政権は『正確に爆撃』というが、実態はまったくのウソ。アメリカやそれに加担する国が垂れ流す情報をうのみにしてはいけない」と訴えました。
天羽さんは、戦前育った満州(中国東北部)が日本の「加害の地」だったことや、施設に入所していた一人の元従軍慰安婦の女性の勇気ある告白で「鎮魂の碑」が建てられた経過を紹介。「日本は加害の歴史にどうして痛みを感じないのか。過去を隠すことにきゅうきゅうとする国は変えなければなりません」と語りました。
宇梶さんは、アイヌへの差別の解消を行政に訴え、布絵の活動に至った人生の歩みを切々と語り、「就職や結婚で差別される同胞には、『アイヌのアの字が怖い』という人もいます。アイヌの神のシマフクロウを意味する布絵で、解放される道を示していきたい」とのべました。
最後にきくちさんは、「いま、教育基本法や平和憲法の改悪が日程にのぼり、戦争のがけっぷちにあります。シンポジウムをきっかけに、平和のために行動する人の連帯を広げたい」と呼びかけていました。
(2004年08月22日「赤旗」)