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●和島誠一賞、安房文化遺産フォーラムが受賞
●文化財保護の功績を評価
文化財保存全国協議会(事務局・大阪市)が設立し、文化財保護に功績のあった個人・団体に授与される「和島誠一賞」の第10回受賞者に館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が選ばれ、14日に京都市の同志社大学で授賞式が行われた。
全国協議会は、同フォーラムがこれまで手掛けた館山市の赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡、里見氏稲村城跡などの保存・活用運動を高く評価。「市民に広く文化遺産の歴史的意義の普及をはかられたこと」を「顕著な功績」とたたえた。
愛沢代表は「われわれの活動だけでなく、安房地域の市民がつくり上げたものを全国が評価してくれたのだと思う。これまでの多くの方々の集会参加、署名の取り組みに感謝している」と喜びを語った。
同フォーラムの設立母体は、1989年に安房地域の戦争遺跡の調査、保存を目的に活動をスタート。太平洋戦争中「海軍のまち」だった館山市の当時の歴史掘り起こしに尽力したほか、戦争遺跡を保存し平和学習に活用する取り組みを進めてきた。
96年には里見氏稲村城跡の保存運動に乗り出し、地域住民との現地ハイクを繰り返すなど粘り強い活動を展開。城跡の上に計画された市道建設ルートの変更を勝ち取るなどの実績を挙げた。
和島誠一賞は、文化財保護思想の普及を広く提唱し、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存を積極的に進めた考古学者、故和島誠一氏を記念し2000年に設立。これまで長岡京東院の保存運動に尽力した作家の永井路子さん、国立歴史民俗博物館館長を務めた故・佐原真氏、長野県の「松代大本営の保存をすすめる会」などが受賞した。
【写真説明】表彰状を手にする愛沢伸雄代表(右)と池田恵美子事務局長
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NHK福岡の地域特集
「没後100年〜生と死の絵画」
明治後期、日本画壇にすい星のように現れて駆け抜けた天才画家・青木繁。『海の幸』など日本美術史上に残る名作を次々と描き上げた後放浪生活に入った。そして「骨灰は故郷のケシケシ山に埋めて欲しい…」と言い残して逝った。28年の人生であった。番組では、青木繁の数々の名作を紹介すると同時に、手記や手紙、友人らが青木繁の人や作品について書いた批評、エピソードを取り上げ、折々の青木繁の心の動きを見つめていく。
【出演】石橋美術館学芸課長 森山秀子
※館山でも取材協力をしました。



(読者のコーナー)
6月1日を前にして
....山口栄彦
.....(NPO法人安房文化遺産フォーラム会員)
館山海軍砲術学校が安房郡神戸村佐野(現館山市佐野)で開校されたのは1941(昭和16)年6月1日だった。富崎や神戸地区が心に深く刻まれているように、館山砲術学校(以下館砲)の残像がぬぐいきれない。そこで、開校記念日をまえに2、3触れてみたい。
安房地域特別支援学校のあたりに館砲の下士官とその家族用の住宅があり、「官舎」と呼ばれていた。敗戦後、官舎は地域住民に払い下げられた。やがて、土地の接収が始まったので夫が家を解体して今の場所に移った。その後部屋を一間増やし今も住んでいる。「古くて恥ずかしいです」と、Sさんはしきりに言う。恥ずかしいどころか、家は館砲にまつわる数少ない戦争遺跡の一つだ。
去る4月、1人の女性が南房総市の大房岬を訪ねた。神戸市に住む岡田啓子さん(64)だ。44(昭和19)年館砲で米国の西海岸上陸を目的とした海軍レンジャー部隊呉101特別陸戦隊、通称山岡部隊(約300人)が編成され、主に富浦地区で訓練を続けた。戦局の悪化で作戦はサイパン上陸に変更され、隊員だった啓子さんのご尊父は、特攻出撃をまえに遺書まで残したが、敗戦となり生きのびた。富浦で生まれた啓子さんは、自分の出生の地と若き日の父親の足跡を求めて来房した。「こんな場所での訓練は二度としてほしくない」と、啓子さんは大房の崖を見上げて呟いた。
館砲のA主計長は学生時代から絵を描くのが好きだったようだ。主計長からの
便りでがしばらく絶えたのを心配した父親は、44年の初夏、息子に面会するために山形市からはるばる館山にやって来た。主計長は部下(民間人)の不祥事の責任を取らされ、米軍の上陸が迫るニューギニアのビアク島に極秘に送られていた。後任のO主計長は前任者にかかわる真相は知っていたが、軍紀上それをA主計長の父親に明らかにできなかった。「あれは息子が描いた絵に違いありません」と、A主計長の父親は壁の絵を指した。A主計長はビアク島で戦死した。
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*房日新聞2009.5.13付
*岡田啓子さんの来房レポートはblog安房国再発見



◎戦国コスプレーヤー集合
…11月22〜24日、館山で大会開催
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戦国コスプレイヤーに限定した「第2回戦国こすぷれ大会」が、22〜24日、館山市の城山公園周辺で開かれる。同市のNPO安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が県外から多くの人に足を運んでもらおうと企画した。
テレビゲーム「戦国BASARA」や「信長の野望」などをきっかけに鎧などを着るコスプレが流行。今では、関ヶ原の戦いの舞台でもある岐阜県関ヶ原町や、鳥取県でも同様の大会が開かれており、同フォーラム事務局長の池田恵美子さんは「南総里見八犬伝の舞台でもある館山で開けないかと考えた」という。
第1回は4月に開いた。参加者は80名にとどまったが、ファンが日本各地から館山を訪れた。2日間の日程だったので、ほとんどの参加者が宿泊。池田さんは「宿泊が増えて多くの人がこの地域でお金を使ってくれれば、振興につながる」と話す。館山市商工観光課も「宿泊してくれる参加者が多く、今後も続けて欲しい」と期待を込める。
今回は3日間の日程で、23日には戦国コスプレ大会、22、24日はオプションで南総里見八犬伝に登場する里見義実の居城として有名な滝田城などでの撮影会がある。
参加費は戦国コスプレ大会が2,000円で、撮影ツアーは4,000円。問合せは里見八犬伝ワールド実行委員会へ。


◎千葉館山、戦跡保存で全国シンポ
…房総の特攻基地跡など見学
第八回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会が二十日、千葉県で始まりました。初日は戦争遺跡を見学するフィールドワークが行われ、関東や沖縄、韓国などから百人以上が参加。茂原市の掩体壕(えんたいごう)群や、夷隅町、大原町に残る特攻基地跡などを見学しました。
……
夷隅町に残る特攻機「桜花」基地跡は、草深い山奥に暗い口を開けていました。「桜花」は敵艦隊に体当たりするグライダー型「人間爆弾」で、本土決戦を想定していました。同基地跡は勤労奉仕でかりだされた住民が掘ったという証言もあります。
参加者はツルハシの跡が残る壁面を触れ、「大本営は逃げる場所、特攻基地は死ぬ場所だ」と話していました。





(房日新聞2010.6.1付)
「協働」の社会がキーワード
館山 市民の会が趣意書発表
財政・医療・経済を重視
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11月にも予定される館山市長選に向け「市民マニフェスト」をまとめようと結成されたグループ「『立て直そう館山!』全市民の会」(呼びかけ人16人、愛沢伸雄代表世話人)はこのほど、設立趣意書を発表した。
少子高齢化社会が進む中「地域コミュニティの中で、市民がお互いに支えあう社会をどうつくるかが問われている」と問題提起。「行政や市民が協働するなかで(問題を)解決していく、そのような市民が主役になるまちづくりが求められている」と、市民目線での市政運営の必要性を強調している。
「立て直す」べき重要政策課題としては①財政②医療・福祉③観光・農水・雇用創出——を挙げて「足もとの館山市政の現状を学び、そこでの地域課題を確認して、その解決をはかっていく道筋を市民の立場から考えていく」としている。具体的には今後、「元気なまちづくり市民講座」などを市内各地区で開催。参加者と率直な話し合いを行っていくという。
一方、同会が12日に開くキックオフイベントの概要がまとまった。シンポジウム「癒しの海辺のまちづくり第2弾」と銘打ち、午後2時から4時半の予定で南総文化ホールで行う。参加費500円。
先進的なまちづくり事例の紹介として、東京都中野区副区長の石神正義氏が「中野サンプラザの立て直しと里・まち連携」、新潟県旧安塚町長の矢野学氏が「心の過疎をつくらないまちづくり」と題してスピーチする予定。
その後は大島博幸(館山病院総長)、平本紀久雄(千葉の海と漁業を考える会代表)、伊東万里子(劇団貝の火主宰)の各氏も加わり、「立て直そう館山!まちづくりを語ろう」をテーマにパネル討論会を行う。
石神氏は館山市出身。館山など7つの自治体と連携し、地方の一次産業と都会の消費者を結ぶ交流事業を推進する一方、中野サンプラザ社長として同施設の経営立て直しに取り組んだ。
矢野氏は、住民の重荷だった豪雪を資源ととらえ、雪の冷房化などユニークなまちづくりに取り組んだ名物町長。自治体の大型合併に際しては、公共サービス低下を防ぐために全町民参加型のNPO法人を設立、成功させた。
※シンポジウム開催概要=2010.6.12⇒⇒癒しの海辺のまちづくりシンポジウム第2弾
※【房日新聞】2010.5.19付⇒⇒記事詳細はコチラ



