!! 見る 聞く 学ぶ 集う 安房国(あわのくに)再発見 !! 千葉県・南房総・館山まるごと博物館

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館山の商店に鉄道グッズ

NPOが企画、まちかどミニ博物館に

06年8月20日 6,986

千葉タウンウォッチング

--平和・交流・共生の文化

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*JR館山駅

*館山城跡(城山公園)

*大厳院「四面石塔」

*赤山地下壕

*県立安房博物館

*小高熹郎記念館

*JR館山駅


日本地図を逆さまに見てみると、房総半島は列島のほぼ中央で太平洋に突き出た頂点にあたることがわかる。ここ安房国は、古くから黒潮にのって様々な海洋民が漂着し、あるいは軍事戦略上の重要な拠点とされてきた。また、元禄大地震や関東大震災でも壊滅的な打撃を受けながら、その都度コミュニティの知恵を結集して、戦乱や災害を乗り越えてきた地でもある。

温暖なばかりではない地域条件のもと、海とともに生きた先人たちが培ったのは「平和・交流・共生」の文化であった。今回はその痕跡をたどり、知られざる安房国をたずねてみよう。

館山という地名は、海から見たランドマークにあたる「館のような山」に由来する。ここは戦国武将里見氏が最後に築いた館山城であり、この城を中心に館山の湊と城下町づくりがすすめられた。

里見氏が伯耆国(鳥取県)に改易されてからちょうど200年後、曲亭馬琴が長編小説『南総里見八犬伝』を書き始め、江戸のベストセラーになった。城山公園の天守閣は全国唯一の八犬伝博物館(館山市立博物館分館)で、『八犬伝』にちなんだ資料が展示されており、見応え十分。

里見氏ゆかりの大巌院にある「四面石塔」は、朝鮮ハングルなど4種の字形で「南無阿弥陀仏」と刻まれた国際色豊かな文化財である。秀吉の朝鮮侵略や家康の朝鮮通信使修交などの時代背景から、平和祈念の石塔と推察され、400年のときを超えた現在、アジア諸国からも注目されている。

近年、この地がアジア太平洋戦争の東京湾要塞として重要な役割を担い、また終戦直後には米占領軍の上陸があって「4日間」の直接軍政が敷かれたことも明らかになってきた。現在、平和学習拠点として一般公開されている「館山海軍航空隊赤山地下壕」は、平和宣言都市館山のシンボルといえよう。

明治期、安房のアワビ漁師たちはカリフォルニア州モントレーに移住し、器械式潜水のアワビ漁と缶詰工場を興した。千倉町出身で日本人初のハリウッド俳優となった早川雪洲は、潜水夫だった兄の関係で渡米している。日米親善の架け橋にも貢献していた彼らは、開戦と同時に砂漠の日系人強制収容所に移され、数奇の運命をたどった。

千葉県立安房博物館に展示されている、器械式潜水具や日米の国旗が染められた万祝(漁師の晴着)は、平和の語り部として大きな役割を果たしている。

築港の前にある、大正初期建造の洋館「小高熹郎記念館〜たてやま海辺のまちかど博物館」は、地域コミュニティの交流拠点として今秋開館した。地域の歴史・文化をまなび、今に活かそうという安房大好き人間たちが集う場である。

06年10月12日 7,372

病気療養しながら風景画など描く

愛沢綾子さんの絵画展始まる

〜千倉のカフェ・ド・ヴォンで

(房日新聞2006.3.4付)

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06年3月4日 7,474

●済州島の大学教授視察

(房日新聞2006.8.30付)

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06年8月30日 8,096

「白浜民報」第984号-2006年8月20日発行


記録し伝えたい白浜での戦争


白浜民報ではこれまで、多くの方々のご協力を得て、白浜での戦争の記録をしてきました。このたび、白浜への米軍艦砲射撃の貴重な体験記を黒須さんから提供していただきましたのでお読みください。

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白浜の艦砲射撃

鴨川市 黒須禮子


●20年7月18日深夜

昭和20年7月18日の真夜中、私たちの村(白浜町)は艦砲射撃を浴び、23名の死傷者を出した。 その夜、ものすごい轟音と家がなぎ倒されるような衝撃に跳ね起き、裏の防空壕にとび込んだ。 とたん、防空壕の壁土がバラバラと崩れ落ちてきた。

駄目だ。

反射的に土手をかけあがり、「凄いよっ」と叫ぶ弟のあとから、横に張り出している梅の木の枝にとび乗った。 なぜかあたり一帯が明るく、野島崎灯台の左方向の水平線上にくっきりと黒い船が2隻並び、その周囲をまるで花火が炸裂する時のようにバチバチと火花が散り、ドカーン、ズズーン、ドカーン、ズズーンと体中に響く衝撃がきた。 父母、弟妹、隣の家の人もいたが、誰も声も出さない。 と、次の瞬間、忽然と船は水平線の向こうに消えていってしまった。 その間、長い長い時間に思えたが実際には数分間のできごとだった。


●島崎で死人が

翌朝、夜明けと共に村内は慌ただしくなり、大人達が走り回っていた。

「城山が禿げてるようっ」

「田がアナだらけだようっ」

「島崎で死人がでたってようっ」、

私達子どもも大人の合間を縫って駆け出した。屹立した城山の壁に砲弾が当たったらしく、山肌が茶色くむき出しになってしまっていた。 すぐ隣の山麓が私達の集落である。手元が1㍉狂えばこっちに来たところだ。田圃への道も灯台への道も既に縄が張られ、警防団の人達が警戒に当たっていた。張られた縄の遠くから覗くと、砲弾の穴は田圃一枚の大きさですり鉢型をしている。厚い鉈を何枚か重ねたような、両側が鋭くギザギザになった鉄板も積んである。城山から五、六百㍍離れた私の家でさえあの衝撃だったのだ。田圃のすぐそばのこの家の人達はどんなだったのか。

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06年8月20日 9,991

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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