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タイトル:足もとの地域から世界をみる 〜授業づくりから地域づくりへ〜
掲載日時:%2011年%11月%02日(%PM) %22時%Nov分
アドレス:http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=571

足もとの地域から世界をみる 〜授業づくりから地域づくりへ〜

愛沢 伸雄(NPO法人安房文化遺産フォーラム 代表)

平成23年度全国公民科・社会科教育研究会千葉大会(2011.11.2講演レポート)


■はじめに

本年の「3.11」東日本大震災と福島原発問題は、あらためて人類史的な課題を私たちに突きつけた。21世紀に生きる私たちは、いま持続可能な社会形成にむけて、どうしたらよいかが問われている。地域のなかで市民活動に取り組みながら、私は平和や人権、環境や歴史・文化を活かした持続可能な地域社会づくりのあり方をさぐっている。

かつて高校社会科(世界史)教員として、とりわけ世界史学習では足もとの地域から日本・アジア・世界に視線を広げ、世界史的な考察力や想像力を育んでいくことをめざす授業づくりに取り組んでいた。「かにた婦人の村」の女性たちの歴史やハングルが刻字された大巌院「四面石塔」、あるいは数多くの戦争遺跡などは、すべて「平和の文化」をあらわす貴重な地域教材として授業実践してきた。また、里見氏の文化財を保存し活かす文化活動や、生徒たちとともに小さな学校を作ってきたアフリカ・ウガンダの支援活動も生徒会活動や授業実践に活かしていった。

地域の先人たちが育んできた【平和・交流・共生】の理念をさぐりながら、地域の人びとの心や文化財に刻まれてきた有形・無形の身近な文化遺産を紹介し、生徒たちが足もとの地域から世界に目を広げていく授業実践を積み上げてきた。それらの授業づくりの手法は、いま文化遺産群を保存・活用する「地域まるごと博物館」構想につながっているだけではなく、市民が主役になった地域づくり活動に活かし、「生涯学習まちづくり」の視点から市民たちの生きがいを生みだす取り組みにしている。

ところで1990年代から戦争遺跡などの調査研究や保存運動をはじめたが、とくに1996年に始まった里見氏稲村城跡保存運動では、市民が中心となった文化財保存運動が、今日まで16年間地道に継続し、本年の夏には念願かなって文化庁への「国指定史跡」意見具申書提出となった。また、1990年当初より取り組んできた戦争遺跡保存運動では、2004年に館山海軍航空隊赤山地下壕跡が整備・一般公開され、翌年には「館山市指定史跡」となった。戦争遺跡をまちづくりに活用すると位置づけられ、平和学習の拠点として年間2万人近くが入壕するまでになった。

“いま”ある文化遺産を活かすまちづくりを願う市民有志によって、2004年NPO法人が設立された。市民を主役にしたさまざまな市民活動を展開して、地域社会に一石を投じてきたが、授業づくりとは違った意味で、地域づくり活動の難しさに直面し困難な状況も生まれている。設立8年目になった現在、「3.11」大震災の影響も大きく、NPO活動では正念場を迎えている。地域に生きてきた先人たちの【平和・交流・共生】の理念を活かし、“いま”ある文化遺産を活用する地域づくりに取り組んでいる。


■1.地域教材を活かした授業づくりと安房地域の特性
(1) 「自己・地域・日本・アジア・世界」に広がり、そして戻ってくる視点を

a.「地域」を通して世界をみる歴史教育をもとめて(地域に根ざした生き方とは)

b.戦争遺跡から「平和」を学ぶために(地域に「平和の文化」を育む)

① 自己の意見を表明し行動する「地球市民」を育む教育を

② 地域に根ざすとは、いま自分がここにいて、生きている実感と実践

③ 「平和」はいつもそこにはない。自らのこととして受けとめ、心に刻んで、生徒や市民、

世界の人びとと手を結んで「平和の文化」をつくっていく。


(2)「地域」から歴史をみる視点を(歴史的想像力をもって)

〜南房総・安房地域の地理的歴史的特性を見ていく眼を磨いていく

① 歴史のフィルターを通して「地域」を見ていく眼

② 歴史のスパンを長くして「地域」を見ていく眼

③ 世界史や日本史を通して「地域」の歴史を構造的に見ていく眼


(3)「地域」の民衆の歴史や生活文化、暮らしを学び、いまに活かす

① 南房総・安房における海をめぐる歴史・文化と交流

・海に生きる人々が生みだした生活と文化 → 交流

② 地震・災害・戦乱から地域を復興させるエネルギーと民衆のたたかい

・生きる知恵-コミュニティとネットワーク 「棚田」と嶺岡牧 → 共生

③ 房総半島のもつ意味や役割と、中央政権の関わりや支配

・南房総の気候・植生・海洋と民衆の生活

④ 戦国期里見氏や近世地域支配者と民衆との関わり

・地域民衆の支配と海城・巨大地震の遭遇と復旧-信仰と交易 → 平和

⑤ 東アジア・太平洋世界との交流-ハングル「四面石塔」と朝鮮通信使

・外国の漂流船や難破船の南房総漂着と民衆との交流 → 交流

⑥ 万石騒動・自由民権運動と安房の民衆

・江戸との交流と庶民文化の創造-師宣・馬琴

・地域の子どもたちと教育・地場産業の育成-花・酪農・水産加工

・信仰活動-出羽三山・伊勢参り・キリスト教伝道者 → 平和

⑦ 幕末の海防政策・近代日本の要塞建設・水産業の発展 → 平和・交流

・海に生きる人々-海洋技術・アワビ採集とアメリカ出稼ぎ・マグロ漁

⑧ 戦争遺跡と戦争の傷跡(隠されてきた歴史的事実や語れなかった歴史的事実)

・海に生きる人びと-アメリカ移住者・海軍水路部と太平洋

・海藻火薬作り、ウミホタルの採集と軍事利用、花作り禁止

・アメリカ占領軍上陸・「直接軍政」と市民・平和活動と「ユネスコ」誕生

・軍都館山を訪れる人びと・「かにた婦人の村」設立と「噫従軍慰安婦」碑 → 平和


(4)地域教材を使った授業づくりと「地域像」をさぐる

① 歴史的な役割を果たしてきた房総半島南端の地・安房

安房地域は気候に恵まれた半島性のもとで、海や山など豊かな自然環境を育んできたことから花・食・里山・黒潮など、第1次産業に関わる地域イメージのみで語られる。

しかし歴史的文化的な視点からみると、房総半島南端部は日本列島のほぼ中心部にあって、関東地域を背後に太平洋世界に突き出た半島に関わり、太平洋世界(黒潮)の豊かな海洋文化を営みながら、交流をすすめてきた地域であった。つまり関東のなかの中心的な位置を占め、政権のあった鎌倉・江戸・東京にとっては、江戸(東京)湾の入口に位置する安房は、古代より戦略的な要衝の地であった。

房総半島南端部は地理的にどんな特性をもった地域か。降雨や気温には海洋性の気候の影響を受け、台風の通過が多く一時的な豪雨などの地域的な特性をもつ。そのなかで気候的な特性や植生上の特性を活かした農業形態や花づくり、また黒潮と親潮の潮目をもった世界四大漁場のひとつであった漁業の歴史、さらに古代よりアワビ・海藻など豊かな磯根漁業が地場産業として生活を支えていた。地学的には環太平洋造山帯に位置し、世界的にも地震の多発地帯で、日本海溝が近く太平洋プレートの移動で、現在も日本で一番隆起している半島部という。

歴史的な特性をもった地域であると前述したが、日本列島の中央部にあったことで、古代より中央政権や地域支配者にとっては、地政的に房総半島の役割が重要であると認識されていた地域である。古代から中世・近世において、列島の中央部にある関東地域の支配は、江戸(東京)湾と房総半島湾岸部などの要衝を押さえることによって、戦略上はもとより、漁業や海上交易において中央政権や地域支配者が関心をもった地域であった。

その事例としては、大寺山舟葬墓埋葬者・翁作古墳埋葬者、景行天皇伝承・忌部・高橋・平忠常・頼朝・北条・足利・里見・正木・後北条・秀吉・家康などと関わっている出来事を見ることができる。 また、幕末からアジア太平洋戦争まで対外政策や軍事戦略上では、房総半島南端部が江戸(東京)湾口部であったことで、深く中央政権と直結していた。

幕末の砲台・台場や明治期よりの東京湾要塞砲台群をはじめ、館山海軍航空隊や館山海軍砲術学校、洲ノ埼海軍航空隊などの軍事施設、そして本土決戦関係陣地やアメリカ占領軍上陸地など、時代のなかで重要な役割を担っていた場所であった。

②【平和・交流・共生】の地域コミュニティの理念を育んだ歴史的な特性と「地域像」

安房の人びとは歴史的には、どんな生活文化や理念を育んできたといえるか。まず指摘できることは、地域を舞台にした戦乱や戦争、そして地震・津波・台風などの自然災害、海の暮らしのなかでの遭難など、大変な困難な状況が100〜200年のサイクルで襲ってきたものの、その時代のなかで乗り越えてきたということである。

そこには、嶺岡山系周辺の「地すべり」という自然災害をも利用した「棚田」農業や魚と格闘しながら獲物を得る「突きん棒」漁法、さらには自力で海に潜って魚介類の採取や農業や花作りに活かした海藻採集など磯根漁業など、たとえ労働用具などが欠けていたり、不十分なものであったとしても、伝承された知恵を身に付けて、生活を支えてきた。

その際に忘れてならないことは、人びとは豊かな地域コミュニティをつくって、励まし合い助け合いながら、確かな知恵が活されるために集団で生活文化を育んできた。また、中央政権の意図的政策によって、あるいは戦乱や災害によって、地域の文化財や古文書が失われてきたものの、たとえば地域の伝承として、あるいは寺子屋などの「教育」という形を取りながら、人びとの思いや願いは確実に子どもたちに受け継がれていったのである。

こうして中央政権での戦乱や自然災害が多かったこの地は、人々によって「平和や友好を求める交流」の地となり、漁民たちの寄留の地として、また商人たちの交易地として、さらには太平洋世界から漂着した人びとの平安の地として、実り豊かな地域生活と文化が育まれていたと思われるのである。その結果、地域文化の拠点として神社・仏閣は再建され、そのなかで祭りや民俗伝承という形で豊かな地域コミュニティ社会を生みだし、子どもたちの「教育」の場がつくられていった。

私たちは、先人たちが育んできた【平和・交流・共生】の地域コミュニティの理念を学びながら、地域の歴史的な特性を活かす生活文化を再生していくことが大切である。なかでも安房の人びとの地域コミュニティの理念は、戦乱や災害などを乗り越えていった人びとのエネルギーの源泉であったことを明らかにして、そこから教訓を導くことが重要である。とりわけ地域の「教育」の力が歴史的に大きな役割を果たしてきたことを強調しておきたい。

③ 近現代史の「地域像」は—東京湾要塞・「15年戦争」・本土決戦・「直接軍政」を掘り起こす

19世紀以降、房総半島南端部や江戸湾は海防政策上大きな関心が払われ、台場などが建設された。明治に入って、房総半島は自由民権運動やキリスト教伝道面で人々の交流が活発な時期もあったが、「富国強兵」のスローガンのなかで国家防衛の面から沿岸要塞建設がすすめられ、とくに日清・日露戦争前後から房総半島・三浦半島など東京湾沿岸は、軍事戦略上に最重要拠点として位置づけられていった。

とくに東京湾口部であり、帝都と横須賀軍港防衛の最前線として、特別な役割を担った南房総・安房は、日本近現代史と深く関わる歴史的な特性をもった地域であった。1880(明治13)年、東京湾に侵入する敵艦船の航行を阻止するために、当時最高の建設・軍事技術によって東京湾口部の要塞建設が開始され、その後半世紀にわたって莫大な軍事費を注ぎ込んで、1932(昭和7)年に「東京湾要塞」が完成している。当時の産業技術の粋を集めた要塞建設は、国民の目を隠した国家機密の塊であったのである。

20世紀前半の安房の地域史は、まさに「戦争の世紀」であったことを数多くの戦争遺跡が示している。東京湾要塞地帯として、「15年戦争」-日中戦争・アジア太平洋戦争の軍事拠点として、館山海軍航空隊や館山海軍砲術学校、そして洲ノ埼海軍航空隊などさまざまな施設がつくられ、なかでも「陸の空母」と呼ばれた館山航空基地は、軍事戦略上「15年戦争」のスタート時に中国をはじめアジア侵略の最前線航空基地として特別な役割を担ったのである。中国の人びとに対する無差別都市爆撃であった「渡洋爆撃」をあげても、アジア侵略という加害の歴史的事実が地域の戦争遺跡から知ることができ、館山海軍航空隊赤山地下壕もその頃の航空戦略に基づいて構築されたものと推測される。

そして戦争末期の「沖縄戦」のなかで、南房総・安房は「国体護持」帝都防衛(「松代大本営」建設)のかけ声のもと、本土決戦体制が敷かれ、陸海軍のさまざまな特攻基地や、アメリカ軍上陸を想定して7万人近い部隊を配置したのである。この地の住民たちも「一億総玉砕」体制のなかで、軍隊の盾になるように仕向けられた陣地づくりにも動員され、そして敗戦をむかえたのであった。

1945年9月2日、降伏文書が戦艦ミズーリ号で調印されると、翌日館山海軍航空隊の一角にアメリカ陸軍第8軍が占領軍本隊として上陸してきた。わずか4日間ではあったが、沖縄以外では唯一の「直接軍政」が敷かれた都市となった。戦後日本の占領政策がこのように始まっていったことは近年まであまり知られていなかった。また、終戦直後から平和を求める安房の人びとによるさまざまな市民活動が地域から動き出すが、なかでも国際的な立場からのユネスコ活動をはじめ、青年たちの公民館活動や教員たちの自主的で民主的な教育活動などに注目されるのである。


■2. 授業づくりから地域づくりへ
【平和・交流・共生】を学ぶ戦争遺跡から「平和の文化」としての保存運動へ

安房の戦争遺跡には、軍事施設跡を中心に、近現代日本の歩みをさぐるうえでも貴重なものが多い。なかでも「15年戦争」スタート時の航空戦略では最前線基地であったり、対米英戦のなかでもアジア侵略への拠点として、加害の歴史に関わっていた地域であった。それは沖縄や松代、そして広島・長崎にいたっていく歴史的事実をより鮮明にしていくためにも、近現代史において南房総・安房地域がどんな役割を担ってアジア侵略に突き進んでいったかを明らかにしていくことが重要と思っている。

この地の戦争遺跡が「生き証人」として、地域の視点から加害・被害などの歴史的事実や戦争の無意味さを知らせ、日本やアジアの人々が戦争遺跡を通じて【平和・交流・共生】の理念を学びながら、「平和の文化」を心に育んでいくことを願っている。

戦前戦中に東京湾要塞地帯に暮らす地域の人びとが、どんな思いをもって、この地で生きていたか、あるいは東京湾要塞やアジア太平洋戦争に関わった加害の戦争遺跡のなかで、地域に生きる人びとがどのように戦争に加担していたか、さらに願っていた平和意識とはどのようなものであったかを掘り起こしていきたい。

当時の国家政策のなかで、戦時中は地域の農民たちが「花作り禁止」を命じられたり、子どもたちが極秘に軍事品「ウミホタル」を採集させられたり、戦争が生活や教育を破壊していった姿をアジアの人々に知ってもらうことも重要であろう。そのことがこの地から【平和・交流・共生】の理念を広げ、足もとの地域から「平和の文化」を世界に広げていく活動になると思っている。

世界遺産条約は、世界の人々が異なる歴史や文化をお互い尊重し学び理解するなかで世界の平和発展の礎にしていこうという理念をもっている。21世紀にあって、戦争体験がない親たちがほとんどとなり、そのもとで育った子どもたちに対して「戦争や平和」をどう語り継いでいったらよいかが問われている。戦争体験の風化がすすみ、「平和の語り部」が数少なくなっただけに、そのなかで戦争遺跡は「生き証人」として、その存在をして「戦争と平和」、そして「平和の文化」を語らしめる未来への遺産にしたいと市民や生徒たちに呼びかけていった。

そのことから20余年におよぶ戦争遺跡の調査研究や保存運動につながっていった。とくに「戦後50年」平和を考える集いでは、証言の会や資料展示会、さらには現地見学会など、延べ2,000名近いに市民の参加によって実施され、文化財行政にも一石を投じることとなった。なお、戦乱や災害などを乗り越えていった安房の人びとのエネルギーの源泉は、地域の教育の力であったことをあらためて強調しておきたい。


■3.市民を主役にした地域づくりとNPO活動
(1)持続可能な地域社会をめざして地域課題の解決を

いま安房地域では、豊かな自然や歴史・文化を活かした体験観光交流などの取り組みをまちづくりのなかですすめてきた。だが「3.11」以後、海水浴客が激減するなど安房地域の商工観光は大きな打撃をこうむった。また、近年増加傾向にあった関西方面からの小・中学修学旅行をみると、ここにきて多くがキャンセルとなり、その後回復されていない。小規模な農水産業の地場産業と商工観光業で成り立っている地域なので、財政難に苦しんでいる自治体は予算のなかで財政的な支援をしているが、その効果はあがっていない。

ところで少子高齢化や過疎化、中心市街地の空洞化をはじめ、医療や介護、福祉から教育・子育てにいたるまで合併問題が尾を引くとともに、地方財政難のなかでは市民をとりまく地域課題は日々深刻化しているなかでの「3.11」大震災であったといえる。そのような地域の実情のなかで、私たちには一体何ができるであろうか。

地域での市民活動は端的に言えば、地域でおこっている問題や課題を市民が主役となって解決していくことにある。いま人と人が手をつないで支え合い、暮らしやすい地域コミュニティを築き、「自分たちでできることは自分たちでやろう」という市民の主体的で自主的な行動が生まれている。そこには行政だけではできない、市民だけでもできない、しかし皆で手をつなぐことで、地域課題を解決する糸口が見いだせるのではないかという可能性が展望されている。

そこで注視すべきことは、国連が2005年から「持続可能な開発のための教育の10年」として、先人たちの知恵や伝統技術を含め、有形無形の自然・文化遺産などを後世に引き継いでいく、持続可能な社会形成のあり方を学び、実践することを呼びかけていることである。地域に“いま”あるものを活かした取り組みのために、市民の参画と連携によってさまざまに工夫した情報発信をすること、あるいは幅広いネットワークづくりや人づくりによって、地域の課題解決の具体的なアプローチをした事例が示されている。そのことで具体的には地域の活性化につながって「ご近所の底力」になったことや、市民が主役にした地域づくりを徹底することで、地域の変革が実感できるものになったという。

深刻化していく地域課題を解決するには、どんな地域コミュニティが求められているか、また現状のなかで行政関係機関などがどんな展望(ビジョン)を描き、市民活動と連動していくか、さらには「自分たちでできることは自分たちでやろう」という市民活動の主体的自主的な意識を軸に、支え合いのあるコミュニティを築くことができるかどうかが問われている。そこには市民を主役にした地域づくりのもとで、具体的な持続可能な地域社会への道筋も一緒に指し示しているかどうかにかかっている。

「3.11」以後、災害対策やエネルギー政策ひとつ見ても、持続可能な地域社会への取り組みをすすめるうえで、今日の市民活動や教育活動の役割は大きいといえる。


(2)市民が主役の地域づくり活動〜NPO設立の目的

NPO法人(特定非営利活動法人)設立にあたり、次のような目的を掲げた。

「私たちが活動する地域である南房総・安房は、太平洋に突き出た房総半島南端の地であり、古代より政治や軍事、交易において極めて戦略的な拠点としての役割を担った歴史的特性をもった地域である。たとえば、その一つといえる戦争遺跡をあげても、この地域を通じて、アジア太平洋戦争に関わる出来事に触れられるだけではなく、日清・日露戦争以降近現代日本の歩みの一端をさぐることができる。地域にある戦跡は、戦争の事実を生き生きと語る実物教材であり、戦争を追体験する場として極めて有効で、平和教育としてふさわしい素材である。とくに子どもたちの体験学習では効果的な役割を果たしている。

また、南房総・安房は、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の舞台の地として紹介され、フィクションの世界が地域を代表する観光資源となっているが、地域には今も里見氏関連の文化財が数多く残っていることを忘れてはならない。このように南房総・安房の歴史・文化を学び、戦跡や里見氏に関わる歴史的風土を保存・活用していくことで、文化財を活かした地域づくりになっていくと確信している。

(中略)

そこで地域にある“いま”ある文化遺産を活用して、歴史文化が息づく地域づくりのなかで地域経済を活性化しつつ、後継者たる若者たちの雇用に貢献していく活動を創造していこうと思っている。そのためにまず、戦争遺跡や里見氏関連の文化財などを通じて地域の歴史的な環境を学び、地域に生きる市民として文化遺産を後世に伝える文化活動に関わっていきたいと考えている。それらの文化財とともに、地域を見る視野を広げて、海洋に関わる考古・古代遺跡をはじめ、里見氏前史の中世城館跡や近世の陣屋遺跡・海防遺跡、近代の戦跡、産業遺跡など、さまざまな文化遺産の調査研究をすすめながら、房総半島南端にあることでの地理的歴史的な特性を学びつつ、南房総・安房の歴史的環境や文化遺産への歴史的認識をより確かなものにしていきたいと思っている。同時に、海に囲まれた南房総・安房にある国際交流の痕跡を歴史的な視点からさぐりながら、国際交流の場もつくっていきたいと願っている。とくに東アジアとの交流をみると、地域には歴史的な関わりをもつ文化遺産などがあり、東アジア世界の人びととの交流のきっかけにしていきたい。

(中略)

NPO活動では、南房総・安房の地理的歴史的な特性を視野に入れながら、地域の自然遺産や文化遺産を活用していくガイド活動を中心に、それに関わる事業活動を手作りで展開している。この地域には“花があり、食べ物も美味いし、古代から現代まで歴史・文化遺産が多い”ことをアピールし、この地域を訪れる人々の研修や子どもたちの学習が楽しく有意義になるような学習支援をおこなっている。年間では約150団体(約4,000人)前後の方々との交流を展開している。

(中略)

安房の自然や文化遺産を紹介するために、さまざまな媒体を利用し情報発信するとともに、充実した研修や学習の場になるように、安房地域独自の学習プログラムを試みている。また文化財・戦跡ガイド養成の教育システムを工夫し、訪れた人びとにわかりやすいガイドブック(あわ・がいどシリーズ ①『戦争遺跡』、②『房総里見氏』、③『海とともに生きる人びと』、④『安房 古道を歩く』、あわがいどマップ①『海軍のまち・館山』『青木繁の愛した漁村・富崎』)を出版・販売している。将来的にはガイド育成に関して、地域に学ぶ若者たちの雇用の場になるような事業展開をしたいと日々努力している。」(NPO「設立趣意書」より)

2004年1月に設立し、5月に認証を得た「NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」は、2008年5月に法人名を「安房文化遺産フォーラム」に改称し、その目的を「南房総・安房地域の自然や歴史・文化遺産をまもり、先人たちが培った【平和・交流・共生】の精神を活かした豊かなコミュニティを目ざし、市民の生涯学習と社会貢献活動による地域づくりを推進する」とした。

NPO法人の目的を達成するため、(1)社会教育の推進を図る活動 (2)まちづくりの推進を図る活動 (3)学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動 (4)環境の保全を図る活動 (5)人権の擁護又は平和の推進を図る活動 (6)国際協力の活動 (7)子どもの健全育成を図る活動 (8)前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動をおこなうと位置づけた。そして、上記の目的を達成するために、特定非営利活動に係る事業として、①地域にある歴史・文化遺産の調査研究とガイド事業 ②地域にある歴史・文化遺産を紹介した書籍等の出版事業 ③その他この法人の目的を達成するために必要な事業をおこなう、とした。

なお、市民が主役となった地域づくり活動と地域文化の再生事業に取り組んできたことが評価され、2006年に“あしたのまち・くらしづくり活動部門”で「内閣官房長官賞」を、2008年には千葉県知事より「千葉県文化の日功労賞」を受賞した。2009年には文化財保存全国協議会第40回京都大会において、地域の文化財保存運動に対して「第10回和島誠一賞」が、2011年には日本都市計画家協会から「まちづくり教育部門賞」が授与されている。


(3)生涯現役で活躍する「長寿社会」のなかで

安房地域では、人口の3割を大きく超えた超高齢者の地域社会、いわゆる「長寿社会」になっている。「生涯学習の観点にたった『少子高齢化社会の活性化』に関する総合的研究」(聖徳大学生涯学習研究所:福留強所長)では、これからの地域活性化を担う団塊世代を中心としたシニア層を生涯現役で創造し続ける世代と位置づけ、老人や高齢者に代わる呼称として「創年」という概念を提唱している。実際、豊かな経験や知恵をもつ、この「創年」は、多の世代よりも地域への関心や地域学習の意欲が比較的高いといわれる。

もし地域の「創年」たちが、これまでの教養的なものの公民館講座の枠から一歩外に出て、地域の歴史・文化を伝える「語り部」という存在になれば、長寿社会のもとで一人ひとりが地域づくりに参画する市民活動の姿を示すことになる。つまり、持続可能な地域社会の担い手として、長寿社会で活躍する「創年」たちの市民活動に注目することが重要ではないかと思う。

この20年近く取り組んできた戦争遺跡や房総里見氏などの文化遺産を学びながら、また任意の文化団体や公民館でのサークル活動を通じて、地域文化の再生や地域づくりのあり方の具体的な市民活動に取り組み、それをベースにNPO法人をつくった。現在、戦争遺跡などの文化遺産を活用した子どもたちの平和学習や総合学習のガイド、あるいはさまざまな団体の平和研修(ピースツーリズム)や地域づくり視察などのスタディツアー・ガイドを実施している。その取り組みに参画しているのは、いわゆる「創年」であり、人生体験が豊かなメンバーがガイドとして、生涯現役で活躍したいという意欲が極めて高く、積極的に社会貢献活動に取り組んでいる。


■4.「地域まるごと博物館」構想と学びの場と実践・「生涯学習まちづくり」
(1)地域コミュニティの交流拠点と生涯学習まちづくり

これまでNPO活動では、「先人の培った【平和・交流・共生】の精神が活きる、市民が主役のコミュニティ活動を図る」と、「安房地域に残る戦争遺跡や里見氏、震災復興・海洋文化・転地療養・食文化などの多様な歴史・文化遺産を保存・活用し、持続可能な地域づくりを目ざす」という2つの柱を掲げてきた。

この柱を具体化するために、「足もとの歴史的環境や文化遺産を見つめ直し『地域像』を読み解くと、繰り返し起きる戦乱や震災を乗り越えて先人たちが培った【平和・交流・共生】の精神が見えてくる。絆の薄れた現代社会において、コミュニティ創生の重要なキーワードである。私たちはこの精神に基づいて、「生涯学習まちづくり」をタテ糸の時間軸に、「地域まるごと博物館」をヨコ糸の面として、地域内外の人びとと連携(ネットワーク)を図り、支え合うコミュニティと交流文化の構築を目ざしていく。

とくに「3.11」東日本大震災・原発問題を受け、人びとの生活様式や持続可能な地域社会のあり方などの価値観が問われている。安房地域でも急速に進む少子高齢・過疎化に伴い、各種産業の衰退をはじめ環境問題や医療問題など、多様な地域課題が山積である。豊かな知識や経験をもつシニア層(創造的世代=「創年」)を中心に、市民が自ら地域課題の解決に向け、それぞれの得意分野をまちづくり活動に活かし合うことが急務といえる。

生涯学習によって知恵や技術を磨き合う場として「創年市民大学(仮称)」を創設し、民官産学の協働により新たな産業・雇用を創出するとともに次世代育成を図る。」としている。この取り組みをすすめるために、以下の3点を念頭において具体化をめざしている。

A.「平和・交流・共生」の精神が活きるまちづくりの事業展開とは

◇「生涯教育と人づくり」構想を流れのある時間を軸に

◇「地域まるごと博物館」構想を広がりのある面を軸に

B.「若者の雇用の場づくりと地域コミュニティの再生」の将来構想

◇「生涯教育と人づくり」構想の中での事業化の端緒を

◇安房医療介護福祉・東日本大震災支援の会(AWA311-MCW)との連携

C.「たてやま・まるごと博物館」構想をより精緻化し、

地域活性化や市民活動に反映していく

◇エコミュージアム理論や全国の先進事例を学ぶ

◇館山南部地区(富崎-神戸-平砂浦-洲崎)をモデル事例として活動検証する


(2)「平和・交流・共生」の理念が活きる「地域まるごと博物館」とガイド活動

今日、市民自らが主役となって地域づくりを考える時代となり、市民活動がどんな役割が果たしていくかが問われている。そこで忘れてならないのは、持続可能な地域づくりの観点をもって、平和や人権、環境や歴史・文化を守り育てていく地域社会の創造をすすめていく姿勢ではないか。それとともに地域に育つ次代の子どもたちには、地域に平和や人権、環境や歴史・文化を守っている市民たちがいることを実践的に示していくことが重要である。

そのためにも社会的使命や地域課題をもって動く市民活動のなかで、地域づくりのために積極的に行動する市民たち、つまり地域づくりの主役になって行動する市民たちには、足もとの地域の姿を分析して地域課題をさぐる力が求められる。足もとの自分を見つめながら「自己・地域・日本・アジア・世界」に視線を広げるとともに、再び世界から自らに戻ってくることを意識した、世界史的な思考をもった考察力や想像力が必要といえる。広い視野から地域コミュニティのあるべき姿を読み取り、地域を通して世界を見ていく社会的歴史的な認識力をもつことで、地域に根ざした生き方が可能になってくる。同時に持続可能な地域づくりを視野にいれた生き方や、世界性のある実践活動が可能になってくるのではないか。

いまNPO法人安房文化遺産フォーラムの活動を通じて、たとえば地域にある戦争遺跡にふれることで、平和の問題を学ぶことができ、そのうえで地域から平和をもとめる生き方を考えることができる。そこから自己の意見を表明し行動する「地球市民」としての姿勢を示すことができる。地域に根ざすという点でも、NPO活動を通じて、いま自分がここに存在し生きているとの実感をつかむことができる。私自身は平和創造を自らのものにするために平和を心に刻みながら、NPO活動を通じて地域に生きる市民や子どもたちと一緒になって、具体的な「平和の文化」の素材を掘り起こし、【平和・交流・共生】の理念がわかりやすく伝えるようと心がけている。

もうひとつ、地域づくりの理念を考えるうえで大事なのが、歴史的想像力をもって地域コミュニティを歴史的にみていくことである。なかでも地理的歴史的な特性を見る眼を磨くために、歴史のフィルターを通して「地域」を見ていく眼とともに、歴史のスパンを長くして「地域」を見ていく眼、そして世界史や日本史を通して「地域」の歴史を構造的に見ていく眼をもっていくことが極めて重要ではないか。それらの眼を使って歴史的な想像力をもって持続可能な地域社会を構想していくことが大切なのである。


(3)世界の人びとと交流するためにユネスコ「平和の文化」の視点を

ユネスコは、第二次世界大戦の反省を踏まえ、国際理解教育の名で世界平和のための教育を立ち上げた。その基礎になったのがユネスコ憲章で、その前文には「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」と記載されている。「平和の文化」理念は、平和へのアプローチを人間中心において、「平和の砦」を築いた人間に平和の創造を期待している。そして、生命の尊厳や人権尊重を基盤にした「平和の砦」を自らの心に築いた人間同士が連帯し合うことを求めている。「平和の文化」社会の実現のために平和学習がどうあればよいのか。

21世紀に入ってもさまざまな課題が地球的規模となり、一国だけでは解決できない、世界の人びとによる協働が求められる時代となった。とくに「3.11」による原発問題は、まさにそれを象徴しているのではないか。国家間に戦争がない状態が平和であるとの認識から、地球的規模の問題が解決されていくことなしに、結局、真の平和はないという認識が共有される時代となった。貧困・飢餓や環境の悪化、人権侵害・抑圧など、人間が人間らしく生きることを妨げている社会構造を多角的に分析することで、さまざまな紛争や戦争の原因を探ることができる。同時に争いの火種は除去できるし、課題の解決への展望があることを示してきた。その希望を子どもたちに伝えていく役割が平和学習にあるといえる。

私は“いま”あるものを活かした持続可能な地域社会とは、【平和・交流・共生】の理念をもった地域コミュニティ、つまり歴史文化に彩られた安房地域を活かしていくことになるのではないか。この地を訪れる大人や子どもたちと、地域に住んでいる市民や子どもたちとがお互いに交流する教育や研修の場にしていくとともに、「平和の文化」を学び「心に平和の砦を築く」学習の場を提供して、【平和・交流・共生】を育んでいく地域にしていきたいと思っている。

具体的には、行政機関や地域の教育観光文化団体との協働によって、数多くある戦争遺跡や里見氏をはじめ地域にある有形無形の文化財を活かした市民活動を教育観光事業にしていくことである。将来的には子どもたちの総合学習や平和学習を中心に各種団体の平和研修の場として、地域の文化財がそのまま「地域まるごと博物館」(エコミュージアム)として活用されれば、安房地域がめざしていく持続可能な地域づくりになっていくと思う。

そのためにNPOや文化活動団体が中心になり、これまでにない人材養成の「市民大学」を誕生させていくことが極めて重要な施策になってくる。将来的には地域に暮らす若者たちをはじめ地域の人びとに新しい雇用の場をつくり、「コミュニティ・ビジネス」として地域経済に貢献する仕掛けをつくっていくおくことも大切である。

NPO活動を通じての地域づくりは、地域に住む市民たちが核となって生まれた21世紀の新しい市民参画型の試みといえる。私たちのNPO設立の理念が求めている地域文化の再生と「平和の文化」をうみだしていく持続可能な地域づくりのため、また先人たちが育んできた【平和・交流・共生】の理念が活きる地域社会をつくっていくため、志しをもった多くの市民たちと協働して地道に取り組んでいきたいと思っている。

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