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タイトル:大桟橋建設など館山の海岸工事を考える
掲載日時:%2010年%11月%21日(%PM) %17時%Nov分
アドレス:http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=532

大桟橋建設など館山の海岸工事を考える

平本 紀久雄(千葉の海と漁業を考える会)


1.私の履歴書

私は、千葉県水産試験場で40年近く「イワシなどの漁況予報」に関わってきた。漁況予報とは、イワシ漁の今後数ヶ月間の漁模様(質量とも)を予想して漁業関係者に知らせることで、世間にあまり知られていない仕事である。ただ、予報が当たれば漁師から尊敬されるが、当たらなければボロ糞にいわれるので、漁師たちに一目置かれるには失敗の経験と学問への情熱が物を言う。

漁況予報のバックボーンとなる学問は、「魚類生態学」である。つまり、「魚の暮らし」のしくみを明らかにすることである。

永年の研究からマイワシという魚が環境変化と相まって長期変動を繰り返し、そのスケールは人間の力で制御できない代物であることに気づいた。また、1990年には1988年年級以降の未成魚の加入量の減少を根拠にマイワシの減少を具体的に予測し、漁業者に訴えた。事実、マイワシは急減していき、現在では1960年代後半並の低水準に喘いでいる。

見かけ上、豊漁が続いた1980〜90年代には北部太平洋海区(青森〜千葉)の旋網船団は約100統(経営体数)あったが、不漁に陥った現在では3分の1以下しか着業していない。

元某(なにがし)では悔しいので、2000年から「千葉の海と漁業を考える会」を名乗って、「海岸が荒れたと云えば、住民運動に加わり、イワシの宣伝を頼まれれば、宣伝コピーをつくり、人手不足で悩んでいる漁師がいれば、人捜しをやり…」といったお節介を焼いている。

そのきっかけは、10年ぐらい前に九十九里の海岸浸食に関わることになり、その深刻さに気づかされたからである。現在、九十九里浜ではあちこちで、もう取り返えしできないほど砂浜が消えている。原因は、公共工事と称する現代工学の粋を集めた土木工事の結果だから始末がわるい。今にして思えば、自然に対する犯罪的行為だった云わざるを得ない。その具体例を知りたい方は、日本財団発行の『日本の海岸はいま‥九十九里浜が消える!?』(正続編あり)をご覧になっていただきたい。

千葉県で海岸浸食が起こっているのは、九十九里浜だけの話ではない。勝浦湾、内浦湾(小湊)、鴨川湾、和田海岸、千倉海岸、館山湾、岩井海岸しかりで、全県で広がっている。本来いじらなければ変化が起こらないはずの小さな湾(ポケットビーチ)で、軒並み海岸浸食が起こっている。原因は目先の利益しか考えない人間の行き過ぎた海岸工事の結果であり、館山もその先頭を走っている。

これまで私が関わったところは4カ所あるが、勝ったのは和田の白渚海岸のみで、1勝2敗、1継続といったところである。私がなぜ拘るかというと、沿岸が荒らされて真っ先に迷惑を被るのが、自然の恵みを受ける漁業が滅ぼされるからだ。漁業で飯を食ってきた研究者の一人として、無視できない。

最近、地元学に興味を持っている。地元学の哲学(原点)は、「ないものねだりから、あるもの探し」で、つまり、従来型の政治の典型である国からお金をもらってやる公共事業ではなく、「地元にある良いもの・眠っているものを引きだそう」、これが地元学の原点である。

民俗学者の結城登美雄さんによれば、良い地域を充たす条件には次の7つある。

良い地域を充たす7つの条件

① 海・山・川など豊かな自然がある

② よい習慣がある

③ いい仕事がある

④ 少しのお金で笑って暮らせる生活技術を教えてくれる学びの場がある

⑤ 住んでいて気持ちがいい

⑥ 自分のことを思ってくれる友だちが3人はいる

⑦ 良い行政がある

わが館山はどこまで充たしているだろうか? また、私たち一人一人がどこまで充たすことができるだろうか。


2.北条海岸ビーチ利用促進事業について

館山は、江戸期から首都(江戸・東京)へ物資を運ぶ中継点として発達してきた。物流手段の主流は、江戸期・明治期は海運の時代、大正後期・戦前になると鉄道の時代、戦後昭和30年代以降は道路の時代に変化してきた。現在は基本的には道路であろう。したがって、館山は海運全盛時代の江戸期・明治期には大いに発展し、江戸の文化が容易に入り発展したが、物流が船から鉄道へ、さらにトラック輸送に変化していくにしたがい遅れをとるようになり、現在に至っている。

館山および房州にとって、主幹道路を整備することが急務である。「道路優先の現在、房州からよほど大量の物資を運ぶ需要があるならともかく、船で人や貨物を運ぶといった発想は時代錯誤ではないか?」と、考える。

私は、北条海岸ビーチ利用促進事業の誤りに気づいてから一貫して反対してきた。その理由について、5年前に市議会で意見を述べたことがある(2001年8月9〜11日付け房日新聞掲載記事参照のこと)。

「砂浜が減ったら堤防で囲んでしまえばよい」という発想では、「海岸をめちゃくちゃにしてしまい、却って、なにもやらない方がよいくらいだ」。そして、砂浜が減ったという前提で、「高潮対策だと云って北条海岸に緩傾斜堤を築いてしまで現存の砂浜を半分近く死なせてしまった」。なんと愚かなことであろう。

現状はご覧のとおり、北条海岸は「誰も来ない海」になってしまった。地元の観光業者も、「こんなはずじゃなかった」と、さぞかし泣いていることだろう。

一口でいうと、館山市では船形漁港から新井海岸まで続く約5㎞の緩やかな三日月型(底の浅い皿型)の砂浜海岸を、海岸工事によっていくつものドンブリ型海岸を造ってしまったわけである。前市長も、「最初の市長選前には、北条海岸ビーチ利用事業に反対を唱えていたはずなのに…」である。


3.大桟橋問題について

2001年7月18日に南総文化ホールで「館山湾振興ビジョン」(案)の説明会に出席した。そこで、千葉県主催で地元選出の代議士はじめ大勢のお偉方が集まって、館山市の観光・レクリエーションを支える館山港のあり方、つまり大型客船「飛鳥」が停泊でき、各種イベントが開催できる大桟橋建設というビジョンが述べられた。近藤健雄日大教授らの説明を聞いて、いくつか疑問を持ったので、主催者である千葉県港湾整備課長・館山土木事務所長・館山市長あてに質問状を提出したが、現在まで梨のつぶてだ。ただこの文章は県や市の関係機関に回覧されたらしく、それ以来危険人物として県土木部(いまは地域整備部っていうのかな?)からマークされている。


館山桟橋についての私の見解は次のとおりである。

従来から東海汽船の橘丸が発着していた桟橋があり、いまも一部が残っているので、桟橋そのものには異存はないが、新しく造ろうとする桟橋の規模が問題なのだ。

計画どおり延べ600mもの大型船発着可能な大桟橋となると、問題があり過ぎる。12億円もの大金を使って造ったところで、果たして出入りする船舶があるのだろうか? あるにしても年に何隻入るのだろうか? とても採算のとれる話ではないはずだ。結局は宝の持ち腐れで、建造前から「平成の遺跡・館山大釣り桟橋」とでも登録しなければならないだろう。

工事に仕掛かる前に、需要の見通しをじっくりとシュミレーションしてみて、その結果を市民の前に公表した上で市民の賛否を問う必要があるのではないか。それが、「大桟橋建設に関わる検証」であり、新市長の公約だったはずではないのか?

また、桟橋建設にともなう基盤整備の問題、たとえば以前から噂されている県立安房博物館の館山市への移管問題が現実化している疑いがある。でも、われわれ市民は本当ところ、なにも知らされていない。

県立安房博物館には、現在収蔵されている漁労用具8,500点余、うち2,144点の資料が「房総半島の漁労用具」として1987年に国指定の重要有形民俗文化財、また1,337点が「房総半島の万祝および紺屋製作用具」として千葉県有形民俗文化財に指定されている。安房博物館に収蔵されている漁労資料は、県立では香川県立「瀬戸内海歴史民俗資料館」に次ぐ規模と内容を誇る施設である。これらの貴重な資料を収蔵・管理し、展示・研究する博物館機能を維持するのには、館山市の財政規模、とくに人的資源からいって到底できない相談である。

さらに数年前には、日本近代漁業の父、関澤明清(日本最初の水産技師、東京海洋大学初代学長、サケマス人工養殖・まき網漁法・近代捕鯨の基礎を築き、館山を基地にして近海捕鯨業と北洋漁業を展開した。館山築港を見下ろす北下台に彼の顕彰碑がある。)の資料が関澤家から寄贈されている。

このような貴重な漁業関係資料が館山市に移管されたとしたら、安房博物館が単なる土産物を売る物産所、つまり「道の駅」に成り下がってしまうのがオチである。実際のところ、前市長はその程度の認識しか持っていなかったのではなかろうか。まかり間違っても、現市長がそんな甘い認識を持ってもらってはならない。


桟橋建設については、桟橋付近を利用している既存の漁業、船舶に支障を来してはならない。あの付近は3,4か月間餌イワシの生け簀になっているし、ワカメの養殖場になっている。「桟橋を造るから立ち入り使用禁止だ。客船が着くから生け簀をどけろ」では済まない。

餌イワシ漁業は現在も2か統(経営体数)が稼働し、50〜60人が従事、うち30%は20代の若者である。餌の収益は年5億円。季節には延べ3,000人の餌買いが民宿に宿泊している。年間800隻以上のカツオ一本釣り漁船が入港し、市内に石油店から重油を購入し、さらには食料を買っていく。これらを合計すると、少なく見積もっても年間7億円の産業である(近いうちに、現状を詳細に調べ直してみようと思っている)。今後さらに餌イワシ漁業を発展させるには、カツオの水揚げを促進することだ。


結論を言えば、「市民に負担ばかり被せて到底採算の合わない大桟橋建設は止めるべき」である。これまで使ったといわれる1億円以上の費用を館山市がたとえ払ってでも止めた方がよいと思う。



2007.2.1(木)19時〜

館山市コミュニティセンター

「大桟橋問題を考える学習会」

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