全国唯一の兵器整備養成学校として、1943(昭和18)年に開隊された洲ノ埼海軍航空隊(通称「洲ノ空」)。全国から理工系学生らが集められ、射爆・無線・写真・光学・電探・雷爆などの専門分野を学んだ。戦闘機用機銃の射撃場用標的とされた壕が5基残っている。