タイトル: | 学校・地域と世界をつなぐもの |
掲載日時: | %2009年%07月%02日(%PM) %21時%Jul分 |
アドレス: | http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=420 |
●学校・地域と世界をつなぐもの〜生徒会によるアフリカ・ウガンダ支援活動●
千葉県歴史教育者協議会 会報第32号(2001年)
・愛沢 伸雄(千葉県立安房南高生徒会ボランティア委員会顧問)
・佐久間 美紀・新藤 ゆか里(千葉県立安房南高2000年度卒・ボランティア委員会)
千葉県立安房南高校生徒会では、1994年より「ウガンダ支援活動」をおこなっています。私たちは本年3月に卒業しましたが、その支援を中心で支えているボランティア委員会の一員として活動してきました。3年間を振り返りながら、なぜアフリカのウガンダであったのか、どうしてこの学校の生徒会でやることになったのかをお話したいと思います。いま日本の学校では不登校やいじめ、少年犯罪などいろいろな問題がおきています。だがウガンダをはじめ発展途上国の子供たちをみると、明日の食べる物さえないぎりぎりの生活をしている子供たちが多いといいます。私たちが取り組んできたウガンダ支援活動から、いまの学校生活を考えてみたいと思います。
■7年間のウガンダ支援活動
安房南高校生徒会では、ボランティア活動を活動方針のひとつにしてきました。そのなかで、『ウガンダの子どもたちに夢と希望を』を合い言葉に、内戦やエイズで両親を失ったウガンダの子どもたちへの支援活動をはじめて8年目になりました。これまで、この支援活動やウガンダの子どもたちとの交流が続いてきたのも、生徒会員はもちろんですが、多くの保護者や同窓会、市民の方々、そして先生方からの物資や募金、バザーでの温かい支援があったからです。
ボランティア活動は言われたからやるのではなく、本来的に主体的で自主的なものです。このウガンダ支援活動でも、活動の意義を理解しながら、自分のために取り組んできた先輩たちがいたからこそ、今日まで続いてきたといえます。
■「ラブ・アンド・ピース」活動でさまざまなボランティア支援
生徒会のボランティア活動は、「ラブ・アンド・ピース活動」とも呼んでいますが、ボランティア委員会を中心に、希望者による登録制度をとって自主的に活動しています。
2000年度は80名以上の生徒が登録し、福祉ボランティア活動とともに、ウガンダ支援活動として婦人保護施設「かにた婦人の村」(以下「かにた村」と略)での支援物資の箱詰め作業や、文房具収集ボランティア、毛糸編みで赤ちゃんのおくるみ・肌かけをつくるボランティアなどに参加してきました。
私たちが現在、交流をもっている「ウガンダ意識向上財団」(以下C.U.F.Iと略)とは、内戦やエイズで両親を失ったウガンダの子どもたちを支援している小さなボランティア組織です。いままで中古衣料・文房具などを数百箱と、9千ドル(約120万円)を超える支援資金を贈ってきました。このお金によって孤児たちの生活が支えられるとともに、小さな学校が建設され、ユネスコ活動も届かない医療活動などに有効に使われて、多くの子どもたちに生きる勇気を与えてきたといえます。
■ウガンダ支援活動のはじまりをみる
1994年4月、当時の生活委員会では、活動方針にボランティア活動を加え、ユニセフ活動に参加すると決めたといわれます。だが、お金だけではなく物資なども送る活動はできないかとの話し合いのなかで、顧問の愛沢伸雄先生を通じて「かにた村」に相談したところ、故深津文雄牧師が取り組んでいたウガンダの孤児たちへの支援活動を紹介されたのです。その時にウガンダのNGOより日本に農業研修にきていたC.U.F.Iのセンパラさんが、「かにた村」を訪問したことが縁で紹介されたのです。そしてセンパラさんの来校となり、C.U.F.Iとの交流が始まったのです。
1994年10月、文化祭で取り組んだバザーの収益金や募金で文房具や中古衣料など28箱を館山郵便局より船便扱いでC.U.F.Iに発送しました。そして8ヶ月かかって翌年5月にウガンダに届いたのです。当時の小荷物としての郵便扱いでは時間も運賃も大変でしたので、「かにた村」では大型コンテナ(約700箱)での輸送にしました。そこでウガンダ支援活動を「かにた村」と一緒に行うことになり、本校の生徒がボランティアの箱詰め作業をおこなうことになったのです。その後C.U.F.Iでは、学校建設などに資金が必要と聞いたことで、資金面の援助もすることになりました。
■私たちが支援活動で学んだこと
ウガンダへ発送した物資のなかには、学校生活で使用した体育用ジャージや運動靴があります。不用になった物は捨てるという風潮がありますが、この支援活動で私たちの学校生活を見直す機会ともなったといえます。物資・資金などの支援活動だけではなく、C.U.F.Iを通じてウガンダの子どもたちとささやかな交流も続けてきました。バザーとともに、文化祭では継続して子どもたちの絵や写真、手紙などを展示してきただけではなく、ウガンダの子どもたちへの手紙ボランティア活動に取り組み、英語の授業のなかで英文で手紙を書いたり、支援活動の様子をビデオや写真などで送ってきました。
このように私たち高校生でも小さな国際的な貢献ができ、世界の人々と交流できることを示したと思います。一人ひとりのボランティア活動がささやかななものであっても生徒会が中心となり、全校生が力を合わせれば大きな力になっていくことを証明してきました。
■支援活動のなかで大切にしていること
生徒会では、年間の活動方針をたてて生徒総会などでウガンダ支援活動がどんなことかを伝える努力をしていても、年月とともに活動の経緯がわからなくなります。活動の意味が風化しないようにするためにも、生徒会やボランティア委員会だけでは大変ですので、先生方の力も借りて工夫していく必要があります。
また、バザーを実施し成功させるためには、どうしても保護者や同窓会、地域の方々の支援が必要です。いろいろな場でウガンダ支援活動の意義を伝えていくことが大切と思います。そして、何よりも生徒一人ひとりのボランティア活動を生徒会活動のひとつとして定着させていくことが、基本であることを忘れてはならないでしょう。
●ボランティア委員であったときの私●
*執筆=佐久間 美紀(安房南高校2年時)
・・・・部活などで、その時間にいけずに終わってしまった。・・・・準備はよくできたけど、当日はできなかったので、来年はもっとやりたいと思います。・・・・これからも後輩達がボランティア委員会に入ってラブ・アンド・ピース活動にも参加してもっともっとこの活動が活発になっていくようにしたい・・・・
●私にとってのウガンダ支援活動●
*執筆=佐久間美紀(安房南高校3年時)
安房南高でどうしてウガンダ支援活動をおこなっているのでしょうか? 私は2年間ボランティア委員会の活動を行ってきましたが、なぜウガンダで、どうしてこの学校でやっているか、不思議なことでしたが、活動に参加しているうちに少しずつわかってきました。
今から7年前ボランティア委員会の前身の生活委員会の先輩方は、ユニセフ活動を活動内容に入れました。しかし、募金だけではなく物資も発展途上国に送りたいとのことを、顧問の愛沢先生に相談したところ、「かにた婦人の村」の故深津文雄さんを紹介されたそうです。深津さんのところには、ウガンダの孤児からの手紙が約3000通はど届いていました。それらの手紙には内戦やエイズでなどで親を亡くした孤児達の勉強をしたいと言う切実な願いが書かれていたということです。そのことを聞いた先輩方が子供達に夢と希望を与えようと始めたことがきっかけで、ウガンダ意識向上財団(C.U.F.I)との交流が今日まで7年間続いてきたのです。この間ウガンダのCUFIヘはコンテナ数百箱の物資と、約120万円の支援金を贈ってきました。そして、今年1月のセンパラさんからの手紙ではウガンダにとうとう『AWA-MINAMI洋裁学校』が完成したという報告が入りました。私達が送った支援金によって子供達が洋裁技術を学ぶ場がつくられたというのです。
私達は今、なに不自由なく豊かな生活をしていますが、不登校・いじめ・少年犯罪といろいろな問題が日本に渦巻いています。それは豊かだからこそ出てくるのでしょうか。発展途上国では、毎日生きるか死ぬかの問題に直面しているところが多いといいます。明日の食べる物さえないというぎりぎりの生活をしている子供達が何百万人もいるといいます。ウガンダだけではなくアフリカにはこういう国が多いということですが、私はそういう国へ行って一人でも多くの人を助けたいという気持ちがあります。口で言うのは簡単ですが、言葉だけでは何もなりません。今の私は経済的にもまだ行くことはできませんが、いつの日か絶対に行きたいと思ってます。ウガンダの子供達が幸せな生活できる世界がきてほしいと願っています。私は卒業してからもささやかですが、このウガンダ支援活動を続けていきたいと思っています。
●「生徒会によるウガンダ支援活動」を読んだ感想●
*執筆=新藤 ゆか里(安房南高校2年時)
1962年に独立したウガンダはひとつの国、自分の国として一から頑張ろうという気持ちになったのだろう。その頑張りを支えてあげようという温かい思いのこの安房南高はすばらしいと思う。日本は戦争をした大きな傷があったが、戦争から約50年たって今すごい進歩をした。だからきっとそのような頑張りがあれば、心の温かい国ができていくと思う。今は苦しくてつらいと思うけれど、苦しい分つらい分だけいいことがあると願いたい。人はどこの人々とでも仲良くしたいと思わないのかな。自分だけよければいい、他人なんか知らないというおかしな気持ちがこういう悲劇を生みだしてきたのではないかと思う。ゆっくり歩みながら助け合うということを家族でもやっていきたいし、もっと広い心で見ていきたい。一つの県が他国の貧しい人々を支えることができたらすごいと思う。
●ウガンダ支援活動に関わってきた今の自分を振り返って●
*執筆=新藤ゆか里(安房南高校3年時)
私は3年生になって、ウガンダ支援活動を本格的に取り組むようになりました。1、2年生のときは、資料などを読んだり人から教えてもらい「あぁそうなんだ」という程度で、それ以上はさきに進まなかったのです。学校生活でも部活動が中心であり、それだけで満足していたかもしれません。しかし、3年になってこの支援活動に参加し、頭だけでなく体で安房南高とウガンダとの長い交流を知りました。自分のためにもこの取り組みや勉強が自分自身の成長に本当に役だったし、一生の思い出になりました。
●ウガンダ支援の始まり●
*執筆=村磯 あゆ美(1994年度卒・支援ボランティア「ひかりの」代表)
私がウガンダ支援に関わったのは3年生のときでした。その年の生活委員会では、ボランティアとしてユニセフ活動をおこなうと決まりましたが、物なども送りたいという意見がでて、顧問の愛沢先生から「かにた村」の深津牧師を紹介されました。そこでアドバイスを受け、ウガンダの孤児たちへの支援が決まりました。物資を送ると簡単に言っても、送料がすごく高いので、文化祭でバザーと募金をおこない資金を集めることにしました。最初は本当にできるのか大変不安でしたが、新聞やポスターで地域の方々の協力を求めたところ、たくさんの物資が集まりました。文化祭当日でも、思っていたより盛況で、募金も集まり感激しました。文化祭後、段ボール箱28個にして、センパラさんがつくった孤児たちの学校に物資を送りました。私は翌年3月に卒業しましたが、半年かかって届いたと後に聞きました。
いま福祉関係の施設で働いていますが、当時を振り返ると無我夢中で支援活動をやっていたように思います。8年経った今もこの活動が後輩たちに受け継がれていることに大変嬉しく思っています。私も地域から協力していきますので、これからも末永く続けていってください。
●ボランティア活動を通して●千葉県社会福祉協議会長賞
*執筆=佐久間美紀(安房南高校3年時)
私はいろいろなボランティア活動に参加しています。中でも一番大変で楽しいものが、校内で力を入れている「ウガンダ支援活動」です。「ウガンダ支援活動」というのは、アフリカウガンダに住むエイズや内戦等で両親を亡くした子供達に援助物資を送るというものです。口で「送る」と言うのは簡単ですが、いざ送るとなると大変です。郵便局から送るのも大変な費用と時間が掛かります。そこで、地元・館山市にある長期婦人保護施設「かにた婦人の村」で洋服の箱詰め作業を行い、大型コンテナに共同でダンボール約7百箱分をウガンダへ輸送しています。けれども、大型コンテナで送ると言っても、やはり 費用は掛かります。その費用を「ひかり野祭」という文化祭の中でバザーと募金という形で集めています。バザーは生徒会・全校生徒、保護者・同窓会の皆様、地域・学区内の中学校の皆さん、そして私達ボランティア委員会が中心となって毎年大成功の内に終了しています。売り上げ、募金も年々増え20万円を超えています。
私達が送った洋服を現地の子供達が着ている写真を見せて頂いたことがあります。子供達は皆、笑顔でとても嬉しそうでした。箱詰め作業もバザーもかなり厳しい作業でした。でも、海の向こうで喜んでくれる人々がいるのならどのようなことでも頑張れると思います。大人達の考えた戦争などで子供達が苦しんでいます。同じ地球に住んでいるのに、日本の私達は豊か過ぎるくらいの生活をしています。ウガンダの子供達が豊かに暮らせる日が早く来て欲しいと思います。その為にわずかではあるけれどもバザーの売り上げや募金など少しでも多く送ってあげたいと思います。
この支援活動は7年目を迎えました。この7年間、ボランティア委員会が中心となり先輩方の努力でここまで発展してきたのだと思います。先輩方が続けて下さったこの活動を風化させることなくずっと続け、後輩はそれを受け継いで欲しいと思います。この活動がなぜ始まったのか、どういう活動をしてきたのか、などということを伝え、さらに発展していくように頑張っていこうと思います。
7年前に活動を始めた先輩方がボランティアグループ「ひかりの」を結成しました。卒業しても、ウガンダ支援のお手伝いが出来るようになりました。それは、かにた婦人の村の箱詰め作業の手伝いやひかり野祭でのバザーの手伝いなど、私達の足りないところをバックアップして下さっています。私ももうすぐ卒業ですが、この「ひかりの」に加入して何らかの形でウガンダ支援と関わっていきたいと思っています。そして、いつかはウガンダへ行ってみたいと思います。
また、私は地域の中でのボランティア等も行っています。6月25日に行われた「あわ夢 まつり」という子供向けの行事のスタッフボランティアとして参加しました。南総文化ホールの小ホールと大会議室で紙芝居や劇などの演目がありました。私達はその裏方で、呼び込みや託児室等の手伝いをしました。当日は予想以上の人出で目が回るはど忙しく大変でしたが、子供達がとても楽しんでくれて本当に嬉しかったです。その他にも、夏休みを利用して特別養護老人ホーム等の施設ボランティアにも行きます。食事介助や入浴の手伝い、クラブ活動時の手助けなどを行います。手の空いた時間には入所している方々と話もします。内容は小さい頃の思い出話や戦争の話など様々です。その時問が楽しく、とても賑やかです。仕事で嫌なこともあるけれど、入所している方から、「ありがとう」「また来てね」と言われると嬉しくて、嫌なことも忘れさせてくれます。そしてまた、次も頑張ろう!と思います。それが私のエネルギーの源なのかも知れません。私の参加してきたボランティアの向こうには、喜んでくれる人が沢山います。それが、地球の反対側に住んでいる子供達だったり、地元の子供達だったり、お年寄りであったりします。その人達の笑顔の為ならちょっと無理なことであっても頑張れるのだと思います。私達は何かをすると必ず見返りを求めます。それがお金であったり、物であったりします。私は、お金や物よりもその人々の笑顔であって欲しいと思います。援助を受けた人々の笑顔は、私達の心に深く染み入り心を暖かくしてくれます。
ボランティア活動というのは特別大変なことではないと思います。自分の出来ること を、無理をせず、少しだけ他人の為に行うということだと思います。これからもボランティアで学んだことを大切にし、多方面への活動を充実させていこうと思っています。
■7年間のウガンダ支援活動を振り返って
*執筆=愛沢 伸雄(ボランティア委員会顧問)
2000年8月、「かにた婦人の村」の深津文雄牧師がご逝去された。8年前にウガンダ支援のきっかけをいただいた深津牧師にあらためて深く感謝し、ご冥福をお祈りしたい。
1989年、ウガンダからの一通の手紙に心を痛めた牧師はささやかな支援をはじめた。学校で勉強がしたいという孤児たちの手紙は三千通をこえた。いま牧師が眠っている会堂正面の壁面全体には、それらの手紙が貼られている。99年1月、私はウガンダを訪ね5年ぶりにセンパラさんと再会した。支援先であるウガンダ意識向上財団は、内戦やエイズにより生み出された孤児たちに住居や食糧を与え、彼らの健康を維持し教育を施すことを目的として、86年ビルンジ女史を中心に11名によって結成された小さなNGOである。彼らは自分たちの力で何ができるかを考えながら社会の再建に立ち上がり、地域の実情を汲んだプロジェクトに取り組んできた。しかし、活動資金の面では大変厳しい状況にあり、現在の援助団体は本校生徒会のみで、スタッフを減らし経費を削ってどうにか活動している。苦しくても初心を忘れず、地道に頑張っているセンパラさんたちの活動に心を打たれた。
1994年に来校したセンパラさんは、後の手紙に「多くの困難をともなう、長い道のりではありますが、私たちはうまくやりとげたいと思います。どうか私たちのことを忘れないで」と結んだ。どんな困難にも希望を失わず前向きに取り組む姿勢に感銘をうけたが、その際脳裏に浮かんだことは、本当に生徒たちは毎年支援を継続していけるかどうかであった。しかし、センパラさんの思いから芽生えた生徒たちの支援の誓いを私は信じた。
ウガンダ支援は今「種を播く」活動から、息長く続けるための「水を撒き育てる」活動に入った。7年間の支援は、数百箱の物資と120万円を超える支援金となった。また活動も学校だけではなく地域に広がり、99年5月には数名の卒業生により支援ボランティア「ひかりの」が結成された。このグループが学校と地域の交流の接点となり、息の長い活動を支援する核になることを願っている。
安房南高校生徒会によるウガンダ支援活動は、ささやかではあっても地域に根ざしながら、教室・学校から世界にむけての国際的な貢献であることを示してきた。また、学校から地域・世界に目を向けることや、「子ども権利条約」の理念のある主体的な生徒会活動は、閉塞的になりがちな学校環境を変える契機になっていくと思えた。新世紀を期して支援は「AWA-MINAMI洋裁学校」の開校という形で花開いたが、今後も安房南高校生徒会・ボランティア委員会が取り組む「水を撒き育てる」活動に対して支援・協力していきたい。