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タイトル:ゆたかな歴史文化が息づくまちづくり=『まちむら』98号
掲載日時:%2007年%08月%20日(%PM) %21時%Aug分
アドレス:http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=411

館山・地域まるごと博物館〜ゆたかな歴史文化が息づくまちづくり〜……執筆:池田恵美子

・・*『まちむら』誌98号掲載(2007.8.20発行)

NPO法人安房文化遺産フォーラム==あしたのまち・くらしづくり賞・内閣官房長官賞



房総といえば、花と海。毎年、春の旅番組では常連の風景だ。けれども房総の魅力ある資源はそれだけではない。今、「戦争遺跡(以下、戦跡)」や「八犬伝のふるさと」をはじめとする新しいブランドが芽生え始めている。


■市民がまもった歴史・文化遺産

東京湾要塞として、館山が重要な軍都であったことはほとんど知られていない。「陸の空母」と呼ばれた館山海軍航空隊では航空機開発とパイロット養成を担い、隣接した洲ノ埼海軍航空隊は航空機器の開発や整備を担う人材養成にあたり、日本一広い平砂浦演習場をもった館山海軍砲術学校は主に陸上戦闘のための兵士を養成していた。戦争末期は本土決戦に備えて軍隊が配備され、終戦直後には米占領軍が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれた。これらは消された歴史といっても過言ではない。

放置されてきた戦跡を、平和学習の拠点として後世に残そうという動きが市民から生まれた。10年かかったが、観光地館山で「赤山地下壕」が自治体によって整備・一般公開され、市の指定文化財となったのは画期的であった。入壕者は年間1万人を超え、私たちNPOは年間200団体の平和研修や地域づくり研修を迎え、ガイド活動や講演をおこなっている。

同じ頃、もうひとつの保存運動があった。『南総里見八犬伝』の舞台として登場する房総里見氏の稲村城跡が、公共道路計画により破壊の危機にあったのである。城跡はいわゆる「中世の戦跡」である。安房国を支配した戦国大名里見氏が実在していたこともあまり知られていない。10余年にわたる保存運動が実り、文化遺産としての価値が認められて道路計画は変更となり、現在は国の指定文化財に向けて調査検討委員会が始まっている。

放置されていた負の遺産は、市民の手によりまもられ、市民の宝として新しい命が吹き込まれたのである。


■平和の祈りをこめた合唱組曲と映画の誕生

館山湾には、幻想的に青く輝くウミホタルが多く生息している。しかし、戦争中の子どもたちがウミホタル採取を命じられていたことは、戦跡調査の過程で明らかになった事実である。その秘話と美しい光に心を動かされた音楽家により、合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』(大門高子作詞・藤村記一郎作曲)が誕生した。私たちNPOでは市民に呼びかけて合唱団を結成し、「戦後60年」に開催した日米市民の民間交流に合わせて、初演をおこなった。館山発の平和の歌は全国に、そして世界に発信されはじめている。

新たに、館山の戦跡を舞台にした映画『赤い鯨と白い蛇』が誕生した。戦時中の館山で女学生だったせんぼんよしこ監督が、女性の目線から平和と命を描いた美しい作品で、語り継ぐことの大切さを訴えている。登場するのは香川京子さんをはじめ世代の異なる5人の女性たち。「赤い鯨」は館山沖で訓練をくりかえす特殊潜航艇を意味し、「白い蛇」は家の守り神を象徴する。私たちは、映画の脚本段階から資料提供やロケ地選定などに協力をしてきた。人と人との絆が薄れつつある現代社会のなかで、凍りがちな心が溶けだし、ひたひたと癒されていく感覚がわいてくる映画だ。

NPO活動がひとつのきっかけとなり、館山市民に素晴らしい芸術作品がプレゼントされた。私たちがテーマとする「平和・交流・共生」の地域づくり実現に向けて、この芸術作品を活かしていきたいと考えている。全市民がこの歌を口ずさみ、全市民がこの映画を見たら、まちは生まれ変わるかもしれない。


■館山で描かれた100年前の芸術作品

1904年夏、東京霊巌島から房州航路で貧乏画学生4人が館山に到着した。2ヶ月間若者の寝食を支援したのは、マグロ延縄漁で栄えていた小さな漁村布良の小谷家である。そこで生まれた絵は、黄金色に輝く夕景のなか、鮫をかついで浜を歩く裸の男たちが描かれている。青木繁の≪海の幸≫(国重文)である。

昭和の半ば、同地に館山ユースホステルが建設された際、当時の館山市長を筆頭に地元市民や画壇の有志らが発起人となり、美術振興の道しるべとして≪海の幸≫記念碑が建てられた。全国で高い人気を誇っていた館山ユースホステルだったが、営業不振により解体されたのは今から10年前である。国有地だったため、同時に記念碑も破壊されることとなったが、小谷家の当主を代表とした地元区長らが保存運動をおこない、現在までまもられてきた。

青木繁の6年後、同じ布良で≪海辺の村(白壁の家)≫を描いたのが中村彝(つね)である。18歳で結核を患い、転地療養のため滞在した館山でスケッチをしながら画家を志し、後に描いた≪エロシェンコ氏の像≫(国重文)で名を馳せた。

2人の画家は時を超えて、今に生きる私たちに誇りを育んでくれた。水産業の衰退に伴い、少子高齢・過疎化の極みとなった同地区の再生を切望する区長らの思いに動かされ、私たちは一昨年から歴史・文化を活かした地域づくりをともに進めている。かつての水産業と芸術をテーマにはじめたウォーキングは、次に国交省のモデル調査ツアーとなり、さらに旅行商品として企画販売されるようになった。NPOの市民ガイドが語るウンチクと地元の温かいもてなしに、来訪者はおろか添乗員までが「こんな旅は初めて」と感激していた。

全国に先駆けて館山市コミュニティ委員会が設立されて30周年を迎える今年、同地区と私たちNPOは協働して、コミュニティの原点と未来を考えるウォーキング&ワークショップを開催する。


■生涯学習による観光まちづくり

今春、首都圏初の観光戦略「ちばデスティネーション・キャンペーン(DC)」において、私たちは「八犬伝のふるさと 里見のまち館山」のキャッチフレーズに、里見ゆかりのガイドツアーを企画・実施するとともに、期間中、空き店舗や既存店の協力を得て、地域の歴史・文化を紹介する「まちかどミニ博物館」を6館開設した。SL特別運行に合わせた鉄道グッズ展や、市民サークルの手づくり作品展などである。

シャッター商店街と化していた駅前通りに、数10年ぶりに人があふれた。NPOの市民ガイドと来訪者とのふれあいは予想以上に反響があり、お礼状も届いている。これまで生涯学習として、それぞれに研鑽してきた市民の技術や才能が開花した観光まちづくりの第一歩といえそうだ。

足もとに埋もれているお宝を発見すれば、「地域まるごと博物館」である。誇らしげにウンチクを語る市民ガイドは、さながら博物館の学芸員であり、教育や行政を側面から応援するサポーターでもある。市民・学校・企業・行政が相互理解を深め、お互いを活かし合い、補い合うパートナーシップが築けたら、最強の地域になれるかもしれない。

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