タイトル: | 里見氏調査会 |
掲載日時: | %2009年%02月%16日(%PM) %14時%Feb分 |
アドレス: | http://bunka-isan.awa.jp/About/item.php?iid=234 |
●里見交流〜里見氏の歴史・文化を活かした市民交流●(愛沢 伸雄)
「伯耆倉吉里見忠義関係資料調査報告書」里見氏調査会(2008年10月)
『今よみがえる里見忠義の足跡』
近年、鳥取県倉吉市と千葉県館山市の市民は、江戸初期に改易され伯耆国(鳥取県)に移封された里見氏の史実を通じて市民交流をすすめてきました。このたび滝川恒昭氏(東京大学史料編纂所国内研究員)の呼びかけにより、川名登氏(千葉経済大学名誉教授)を代表とし、佐藤博信氏(千葉大学教授)、和氣俊行氏(法政大学非常勤講師)、私愛沢の5名で「里見氏調査会」を立ち上げ、倉吉市における里見忠義に関わる学術調査事業を実施しました。
1996年、館山市内にある里見氏稲村城跡を市道建設からまもるために、私たち市民は「里見氏稲村城跡を保存する会」を設立し、城跡の保存と史跡化を呼びかけてきました。市民による文化財保存運動は13年目を迎え、房総里見氏の歴史・文化を活かした地域づくりや教育など、さまざまな取り組みをすすめてきました。
なかでも特筆される出来事は、2000年2月に「南総発見フォーラム〜花と里見と八犬伝」のイベントを開催したことから、倉吉市(旧関金町)と館山市の市民交流が実現したということです。当時の関金町長・竹田哲男氏のご尽力があって、『南総里見八犬伝』にまつわる「関金子ども歌舞伎」の公演が館山市でおこなわれ、「里見交流」の基礎がつくられていきました。また、第2回目の「南総発見フォーラム〜海と里見と八犬伝」では、倉吉市(旧関金町)や高崎市(旧榛名町)、館山市など里見氏の歴史・文化に関わる地域の首長が一同に会して、堂本暁子千葉県知事を交えての「里見サミット」が開催され、地域における里見氏の歴史・文化というだけではなく、里見氏を活かした地域間交流としてさまざまな文化事業が提言されました。その際に、倉吉市(旧関金町)と館山市との市民交流を積極的にすすめていくことが確認されました。
2004年には、「里見氏稲村城跡を保存する会」を母体として、NPO法人安房文化遺産フォーラムを設立し、行政や諸団体と連携を図りながら、多様な「里見交流」に取り組んできました。互いの市民が「倉吉せきがね里見まつり」や「南総里見まつり」に参加したり、館山の手づくり甲冑が倉吉に伝えられるなど、市民による交流が育まれています。里見氏を活かした新しい文化交流は、あらためて相互の地域活性化に寄与してきました。そのなかで、稲村城跡保存の市民運動は、館山市や千葉県、文化庁などを動かし、悲願であった「国指定史跡」に向けての調査事業が現在すすめられています。
今回、鳥取県や倉吉市において、里見忠義に関する初めての総合的な学術調査となりました。当NPO法人と倉吉市企画部交流推進課とが相互の窓口となりながら、大岳院をはじめとして忠義に関わる寺社や関係機関などから多大なるご支援ご協力をいただきました。この調査事業は、「里見交流」の一環として、たいへん意義深いものであったと思われます。
また、倉吉市企画部交流推進課の皆様や倉吉市新市ブランド化プロデューサーの福井功氏のご助力により、調査事業とともに、「里見忠義終焉の地を訪ねて」をテーマに特別講演会とパネル・ディスカッションが開催されました。さらに、NPO法人養生の郷(竹田哲男理事長)の皆様により、里見交流会を開いていただきました。この場をお借りして関係者の皆様の温かいご配慮に深く感謝を申し上げますとともに、今後とも豊かな「里見交流」がすすめられ、息長く継続していくことを願っています。
●里見交流会挨拶●
【経過報告】『倉吉・関金と館山の市民交流のあゆみ』
愛沢 伸雄(NPO法人安房文化遺産フォーラム代表・里見氏稲村城跡を保存する会 世話人代表)
今日は、私たちのために歓迎交流会を開いていただき、誠にありがとうございます。私がこちらの地を訪問したのは二回目です。今、川名先生から足もとにある歴史を見直していく取り組みのお話がありました。まちづくりとは、自分たちの地域をよくしていこう、自分たちの歴史・文化を足もとから見て文化財を守っていこう、という当たり前のことです。でもその当たり前のことがなかなかできないものです。しかし倉吉や関金の皆さんは、まちづくりのなかに歴史・文化を活かす取り組みを地道に続けてきました。
13年前に館山では里見氏の稲村城跡を壊して市道を建設しようとしました。何とか城跡を壊さずに保存していけないものかと願って、川名先生をはじめとする研究者の皆さん方のご支援をいただきながら、市民が立ち上がって保存運動をはじめてきました。その経緯のなかで、里見氏の歴史・文化をまちづくり活かすために、関金や倉吉の皆さんと交流をしたいと願った私は、当時竹田関金町長さんに直接電話をかけ、里見氏にちなんだ交流イベントを館山で開催したいので協力いただけないかと相談したのです。見ず知らずの人間であるにもかかわらず、竹田さんは私の意向を汲んでくださり、「関金子ども歌舞伎」の皆さんとご一緒に館山へ来てくださいました。それが2001年には「南総発見フォーラム〜海と里見と八犬伝」として、竹田さんをはじめ当時の倉吉市長や里見発祥の地である群馬県榛名町長、館山市長、千葉県知事が一同に会したシンポジウムとなりました。館山にとっても、里見氏をまちづくりに活かす大きなきっかけとなりました。竹田さんのご決断に対して今もって敬意を表し、深く感謝しております。
「関金子ども歌舞伎」の上演を契機に館山でも村歌舞伎の保存がはじまり、最近では倉吉市新市ブランド化プロデューサーの福井功さんのご尽力によって、館山の「南総里見手作り甲冑」が倉吉に広がり、さらには「里見桜」植樹事業など、さまざまな文化交流が盛り上がっています。そして、その市民交流が今回の里見氏調査会まで繋がってきたと思うと感無量です。
ここに至るまで10年近くかかりましたが、里見氏ゆかりの地である倉吉・関金と高崎・榛名、そして館山という3地域を結んだ「里見トライアングル」交流が深まってきました。さらに、3地域にあるNPOがそれぞれ核となりながら、市民レベルでしっかり結んでいくことが重要だと思っています。