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交通や産業などの変化に伴って、結核や赤痢、コレラなどの伝染病が広がっていきました。なかでも結核治療には、温暖な海辺のきれいな空気で安静大気療法がいいとされました。

その頃、ドイツのベルツ博士が温泉療法とともに海水浴療法を提唱し、転地療養で来館した山口出身の軍人・金近虎之丞は1886(明治19)年、北下台の自宅(金虎亭)に海水と真水につかる浴室を設け、汐湯と称して湯銭をとって一般に開放しました。

東京からも海路で便利な館山は、その頃から保養地となっていきました。その背景には、江戸・明治を通じて活動した医者や、コルバン夫妻のようなキリスト教宣教師による医療伝道による貢献も大きかったのです。汽船場通りに隣接した聖アンデレ教会の周辺は医院が多く、「まち医者通り」と呼ばれていました。

結核治療研究に携わっていた川名博夫医師は、1891(明治24)年に住民運動で開設された館山病院の初代院長となります。夫人は、館山出身で資生堂の創業者・福原有信の長女であったため、財政界のネットワークにより館山が転地療養の地として知られていきました。

1909(明治42)年には、渋沢栄一創設の東京市養育院が、虚弱児童の転地療養施設として安房分院を船形町に開設し、渋沢自ら初代院長となり、生涯をかけてたずさわっています。

09年2月2日 22,421
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