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戦跡からみる安房の20世紀⑤

花作りを守った人びと


【安房の花作りと間宮七郎平】

太平洋をのぞむ南房総は、黒潮の香りと豊かな自然のなかで、安房の人々は風土を生かし、地域に根ざした生活を営んでいた。なかでも、冬でも暖かい地域の特性を利用し、狭い耕地面積を最大限活用する花卉栽培を育んできた。

花が商品として日本中に広がったのは、兵庫県の淡路島と千葉県の南房総からといわれる。今日のような花の出荷ルートは、昭和に入ってから作られた。

南房総で、もっとも早くから花作りに取り組んだのは、和田町の間宮七郎平である。彼は親の反対を押し切って上京し、薬剤師をめざした。当時勉学のため朝鮮に渡り、そこで薬になるケシの栽培を学び、帰国してから自宅の裏にケシや菊などを植えたのが1920(大正9)年という。周囲の反対にあっても、花栽培をやめなかった。3年後には、花栽培の仲間を増やし、とうとう三一名で生花組合を設立した。

以来、花栽培農家は増加し、1933年には安房地方での花卉栽培面積が221ヘクタールとなり、栽培農家は2850戸になった。1936年には、和田町花園地区だけでも、栽培面積が22ヘクタールに広がり、京浜・東北・北海道に生花3万俵を出荷するまでとなった。


【戦時下の食糧増産と花禁止令】

安房の花栽培農家は、1941年の日米開戦直後は、戦線の拡大のなか戦意高揚もあって、戦死者には盛大な葬儀がおこなわれ花の需要は増加していた。とくに寒菊・金せん花・ストックが作付けされ、栽培面積は450ヘクタール、出荷は40万俵にまでになった。

しかし、戦況が徐々に悪化し食糧物資が乏しくなっていくと、農政の一番の目標は食糧増産となり、農家に農産物の作付割当てが強制されていった。なかでも千葉県と長野県では花卉を禁止作物に指定し、花栽培農家は壊滅的な打撃をうけることになる。

これは1938年の国家総動員法「戦時に際し、国防目的達成の為国の全力を最も有効に発揮せしむる様、人的及び物的資源を統制する」を受けて、地方長官が必要なときには農作物の種類その他の事項を指定して作付けを命ずることができるという、1941年の臨時農地管理令によって、花作りは制約されていった。

そして翌1942年には「地区内に於いて生産されるべき農作物の種類、数量または作付面積・・・に関して生産計画をたて、地方長官に届けよ」という農業生産統制令が発令され、とうとう花作りは禁止されるに至ったのであった。


【花作りは「非国民」】

農民たちの花作りを禁止し、国民には食糧管理統制を徹底することで、軍需物資の確保と食糧増産が戦時政策の中心にあることを知らせる必要があった。

そのなかで花卉は不用の作物に指定され、作付けは禁止されるにいたった。他府県では種苗程度のものは残せたが、とくに千葉県と長野県では、法令の徹底化が図られ、花の苗や種を焼却するだけでなく、栽培している花までも全部抜き取りを強制された。

畑の隅に種苗用にと少しでも残せば、国家を裏切る行為として、「非国民」呼ばわりされたのであった。


【花禁止令に抵抗した人びと】

「食べる物がない時代に花をつくっているとは何事か。畑には麦を植えろ」という食糧増産のかけ声のなかで、青年団などが田畑や納屋を見回り取り締まった。こうして農民が農民を監視する体制を作りあげ、花畑はすべて薩摩芋と麦畑に変えられていった。

しかし、花のことを口にするだけで村八分にされかねない雰囲気のなかで、監視の目をかいくぐって、鍋や土蔵のなかに種苗を隠し持ったり、年に一度は土に戻す必要のある球根を誰も足を踏み入れない山中に隠し植えることで、貴重な種苗を守った農民がいた。こうした花が今も山奥に咲くという。

安房では本土決戦が声高に叫ばれ、農民たちは軍当局から麦や米の強制供出を求められていた。花禁止令に抵抗し秘かに種苗を隠しもっていた農民は、敗戦が近いことを感じとっていたかもしれない。

そのなかで地域ぐるみで種苗を隠し持って花つくりを守っていこうする組織的な農民たちの動きも生み出されていった。


【安房の花作りの歴史を語り継ぐ】

太平洋沿岸の花栽培地域は、米軍の想定上陸地点になっていたので、決戦部隊の陣地建設などや勤労動員による偽陣地建設で、食糧増産にむけて相互監視体制が行き届いていた。そのなかで花禁止令への抵抗の動きは、農民たちにとって大変勇気のいる行動であった。

しかし、花を愛する農民たちは花の種を捨てるにしても、種が保存されるような捨て方をして、戦時下の強制策にささやかなたたかいをしていたのである。

ここに今日につながる、安房の花作りの礎があったことを忘れてはならない。

09年3月12日 12,270

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